先の記事、
「プロフェッショナルの自覚」(重吉知美)

http://livedoor.blogcms.jp/blog/kimuramiwa-suibaika/article/edit?id=10182441
を、興味深く読み、少し書かせて頂きたいと思いました。

  異性への入浴介助恥ずかしい笑顔を見ると気にならない
                        VU THI THU TRUNG [
ブティテゥチャン]NHK介護百人一首2018


引用歌は、介護する側の視点で、また介護を学ぶ(疑わぬ)姿勢で詠まれた歌のようです。記事では、気持ちの変化の一瞬を、「プロフェッショナルになった瞬間」 と表現されています。
ここで書かせて頂きたいのは、本物のプロフェッショナルであれば「恥ずかしい」と感じた心も大切にしているのではないか、ということです。

人から身体介護、特に体の大切な部分を触られる入浴や排せつの介助を受けるとき、そこには、さまざまな葛藤が生じ得ます。 

交通事故で四肢麻痺となったAさん(女性)は、中学生の頃に施設で若い男性職員から生理の始末をされたことが、障害を負って一番辛かったことだと言われます。
ほぼ寝たきりで、いつもぬいぐるみのプーさんや天井に映る神様と話しているBさん(女性)は、「女性」から、陰部洗浄の介助を受けて、「犯された」と泣かれました。
Cさん(男性)は、導尿を介助されながら「末期癌のくせに性欲が無くならない。私はおかしいのではないか。」と、言われます。


中には異性介助を望まれる方も見えますが、
引用歌の作者は「恥ずかしい」と思った。それは自然の心のありようで、その気持ちは、介護を受ける人の気持ちを思いやることにもつながるのではないでしょうか。
歌に清々しさを覚える一方で、どの職にもあるであろう、「気にならなくなること」 が、プロフェッショナルの死角を孕むことについても考えさせられました。

                                (水甕岡崎支社 木村美和)