716(海の日)、現代歌人集会春季大会が奈良で開催された。

今季のテーマは古都奈良ならではの「万葉に遊ぶ」。新理事長の林和清氏の基調講演に続き、内藤明氏の講演、後半は大辻隆弘氏、勺禰子氏、小黒世茂氏、吉岡太朗氏によるパネルディスカッションが行われた。

日本最古の和歌集である万葉集。短歌に携わっているからには勉強したいと思いつつも、自力で読み、さらに実作に生かすのはなかなか難しい。そこで私のような万葉集初心者でも、実作のヒントになると感じたことを報告したい。

 

1つ目は、古代的な言葉として「見る」に対する「見ゆ」、「思う」に対する「思ほゆ」の使い方。

 

  あまざかる鄙の長道ゆ恋ひくれば明石の門より大和島見ゆ   柿本人麻呂
  近江の夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ 

 

「見る」は自分が意識的に見ること。それに対し「見ゆ」は自然発生的に見える、目に映る、目に入ときに使われる。「思ほゆ」も同様、自然に思われるという意味だ。微妙なニュアンスの違いだが、歌の印象は大きく変わる。現代短歌でもしばしば使われているので、鑑賞や実作に活かせると思う。

 

  竹群のうす闇うごく奥処にて立ちつつ冷ゆる竹の肉見ゆ    大辻隆弘『抱擁韻』

 

 

 

 二つ目は、序詞を使った歌。

 

  秋の田の穂の上に霧らふ朝霞いつへのかたに我が恋やまむ      磐姫皇后

「序詞」はある語句を導きだすために前置きとして述べる言葉だ。上の句の情景の描写が下の句の人事(心情)に比喩的なイメージを与えている。景と情の付け合わせは、現代短歌でも多数見られ、短歌の基本構造とも言われるが、万葉集の頃からすでに使われていた形なのだ。

  

あけがたは耳さむく聞く雨だれのポル・ポトといふ名を持つをとこ  大辻隆弘『抱擁韻』

 

 (水甕芦屋支社 加藤直美)