件名は「訃報」の二文字 ひらいても閉じても消えない訃報の二文字
岸原さや歌集『声、あるいは音のような』(2013年 書肆侃侃房)

 短歌を作り始めた人の中には「空白(スペース)」の使い方がよく分からない、ということがある。どの作品にも必ず一字空白を使ってみたり、上句(かみのく)と下句(しものく)の間に必ず入れてみたり。時には各句の間に全て空白を入れてみたりする人もいる。この場合、掲出歌で例えると、「件名は 「訃報」の二文字 ひらいても 閉じても消えない 訃報の二文字」みたいになる。「ここに空白を入れないと文字が重なって読みにくいのではないかしら」などと心配する気持ちは分かるのだが、大丈夫、そういう空白はかえって読みにくいから。

 掲出歌の空白はこの一首の中で必然的で、むしろなくてはならない空白である。おそらくケータイかパソコンのメールで受け取ったメールなのだろう。「訃報」という件名と、その詳細を一応目にするが、驚いて思わず画面を(ケータイを)閉じてしまったのだろう。そしてもう一度念のために見直すが、訃報の二文字は残酷にも「消えない」。
 この一文字分の空白は「私」の受けた衝撃や訃報を信じたくない気持ちなどの感情的な混乱、一旦受け取ったメールを閉じてまた開いた時の時間的空白などを暗示しており、たったこれだけの空白が複数の要素を意味して歌に奥行きを持たせるのである。
 この歌には笹井宏之(1982-2009)の訃報であることを示す詞書が付いていて、連作の一首めとして機能している。が、一首としても成立しており、読者の中には自分の体験を引き出して共感する人たちも多いだろう。それにはやはりこの一字空白が効果的に使われていることが大きい。

 空白を用いるならば、その一首の中でどのくらい必要か、その位置でいいのか、どういう意味をもたせたいのかなどをよく考えてみるといい。

(重吉知美)