遅ればせながら「ぱらぷりゅい」を、読ませていただきました。
歌友曰く、読みごたえがあり、特に歌会が面白いとのこと。
本当でした~。
そのおばちゃんパワーや、ボケと突っ込み的な掛け合いは、(ごめんなさい)、
短歌に興味がなくても笑えてしまいそうです。
言うまでもなく、その中に在る読みの鋭さや深さがあってこその面白さです。
ルポルタージュの良さのおかげで、臨場感を持って堪能できました。

作品の頁は、それぞれの個性が際立ち、繰り返し読ませていただきました。
惹かれた歌を少し紹介します。

  入り口はどこだったのか持ってきた水を分けあう春日野墓苑 
                       岩尾淳子「あかるい耳」

やわらかな春の日差しに包まれて、広い静かな墓苑にいる。
同じような墓石の立ち並ぶなか、作者は来た道を見失うが、それほど困るふうでもない口調で、のんびり水を分け合っている。春日野墓苑という固有名詞も、情景を引き立てる。
余分な情報が省かれていることで、一つ一つの語に表面的な意味以上のイメージが広がる。
〈入り口〉は、墓苑の入り口であろうが、彼岸此岸、夢うつつ、などの抽象的なイメージも浮かぶ。近年、墓じまいの話題なども聞かれ、埋葬の在り方もさまざまであり、私も死後は海にまいてくれれば……などという感覚だが、この歌を読んでいると、死者と静かに交信する場として墓石の立ち並ぶ墓苑をとても温かく感じる。〈水を分けあう〉は、飲料水か、或いは墓を洗うためのものか。生命に直結する〈水〉を、共に来た誰か、または死者と分け合う行為は、作者の今日まで繋がる生命への祈りのようにも思われた。

                         (木村美和)