2018年3月18日(日)、東京・神田の専修大学法学部大教室で行われた歌人・鳥居と、前文部科学省事務次官・前川喜平氏の対談に参加してきました。
 鳥居のことは、『水甕』結社誌にも何度か書かせていただきましたが、話題になる前に書店で偶然、歌集に出会った時以来、注目し続けている歌人です。過酷な子ども時代ゆえにほとんど学校に通えなかった鳥居が、文科省を辞した後、夜間中学でボランティアをしている前川喜平氏と、人を介して出会ったことをツイッターで見ていたので、ふたりの対談ならぜひとも聞きたいと出かけました。
 会場は立錐の余地もないほどの盛況ぶり。様々な関心、思いでの参加だったにせよ、この場を機に鳥居の短歌を知ってくれる人が増えるなら、とても嬉しいと思いました。
 冒頭、鳥居が話す場面で、歌集『キリンの子』の歌をパワーポイントで紹介。歌集の最初の一首
 
  病室は豆腐のような静けさで割れない窓が一つだけある

は、何度読んでも胸を衝かれます。鳥居の声はとても小さく、話し方もゆっくりなので、彼女が話すと広い会場がしんとするのが印象的でした。
 いつもセーラー服である理由として、「なぜ?と疑問を持ってもらい、聞く耳を持ってもらうため」と鳥居は言います。何の肩書もないと他人は話など聞いてくれないからと。日本にも初等教育が保障されていない子たちがいることを知ってほしいからと。
 前川氏の言葉では、「存在しているのに目を凝らして見ないとわからない問題がある。」が心に響きました。
 対談に移り、前川氏は鳥居との出会いを「とても幸運だった」「短歌が人の生を変える力があること、言葉のもつ力を改めて実感した」と述べ、鳥居も含め、学び直したいと切望する人たちの運動が、70年間不作為(前川氏の言葉)のままだった文科省を変え、夜間中学の門戸を広げる新しい法律制定につながったと述べました。
 会場からの質問で、非常に心に残った鳥居の回答が二つありました。一つは「短歌が上達するには?」という質問に対し「冷徹になること」。もう一つは、「身寄りもなく学びも保障されない中で、歌集を出し、人前で話すような今につながるきっかけは?」という質問に、鳥居が「孤独を択んできたことがよかった」と答えていたことです。静かなその言葉に、尋常ではない意志の勁さを感じました。
 対談に入る際に二人がハイタッチをしたり、前川氏が中学生に授業で夜間中学のことを話す際、「夜間中学って、知ってる?教室の真ん中に大きな薬缶があるんだよ」と言うと中学生たちがうなずく話など、会場を和ませつつ、予定時間を越えての熱談は、ライブで聞くことの価値を実感させてくれるものでした。

(寄稿:水甕芦屋支社 一海美根)

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