水媒花

みんなで綴る短歌ブログ。

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批評会/大会レポート

5月30日(水)31日(木)に、平成30年度水甕全国大会in東京が、京王プラザホテルで行われました。
鹿児島から北海道、ブルガリア、ドイツ……各地より水甕会員が集まり、年に一度の再会を喜ぶとともに、短歌三昧の贅沢な時間を過ごすことができました。

一日目 ~ 歌会、写真撮影、懇親会、夜の座談会。
二日目 ~ 総会、笹公人先生の講演会、表彰。

楽しかったです。有難うございました。
来年の和歌山大会まで、みなさまお元気で~。

(木村美和)



前半を未読の方はこちらの記事をどうぞ。
(寄稿)「第33回俊成の里短歌大会」参加報告①

3 記念講演  「短歌の魅力」 小島 ゆかり氏

 60分間にわたり、日本の各地で行われた短歌大会で小島氏が出会った心に残る歌など17首を取り上げ、その魅力について語られた。

 

  ハムスターしゅるいはきんくまハムタロウすなほりがすきまわるのもすき
                              小一・女子

「わたしが飼っているのは、キンクマという種類のハムスターで名前はハムタロウ、好きなことは…」と、5つの情報が無駄なく、リズムよく歌われています。

 

  ベトナムの森に鉛を撃ちし祖父/水鉄砲で/我と戯むる   高三・男子

 岩手県の啄木を記念する大会に出された、アメリカ人を父とする人の作品で、三行書きされています。

ベトナムに従軍した祖父は、鉛の弾を打ったけれど、僕と遊ぶときは水鉄砲だ! 同じ人間が時と場所が変われば別人となる戦争の怖さを伝えてくれています。啄木の歌を踏まえた結句も効果的です。
 

  ごめが鳴く(にしん)曇りの空はるかふる里の「増毛(ましけ)」の駅は消えゆく  男性

〈ごめ〉は「カモメ」のことです。「増毛駅」は高倉健さんが主演した映画「駅 STATION」の舞台となったことで有名ですし、北海道増毛郡増毛町の町名の由来はアイヌ語の「マシュケ」(カモメの多いところ)からきていて、その字からご利益を連想する人も……。

  安倍死ね、と言はない方がいいですよと諌められたり答案の隅に
                     大松達知『ぶどうのことば』

 授業中に思わず口がすべった言葉でしょうか、それを直接にではなく答案用紙に「落書」。それを「諌め」と受け取る生徒と教師の人間関係。なにかほのぼのとしますね。
 個人的なことですが、小島ゆかり氏は今年の2月に「中日歌壇」に何年振りかに投稿した私の歌を一席に選んでくださいました。
 あの悲惨な戦争を通して心より願った軍備によらない平和実現の理想が、今、無残に塵にされようとしています。そのことを紙面ではしきりに取り上げているのに、中日歌壇ではいっこうに詠われていない。もっと歌壇でも取り上げてほしいと願って送りました。投稿直前、結句に「九条守れ」と「と」をボールペンで追記して。すると、結句を〈九条守れ〉と添削されて取り上げてくださったのです。

  
寒中に一時間立ちいっぴつの署名いただく九条守れ    佐野都吾

 市民は無関心だ、とも受け取られる歌です。しかし、署名に近所を回った妻は、「駅前では急ぐ足は止められない」と教えてもらいました。さらに私の歌仲間が署名用紙を持ち帰って集めてくれたり、進んで署名をしてくれる方が与えられたりしました。

一首の重みを実感した瞬間でした。その感謝の意味もあって、この大会に参加した私でした。

                  (寄稿・水甕岡崎支社 佐野都吾)

4月29日、愛知県蒲郡市で行われた「第33回俊成の里短歌大会」に参加しました。

小島ゆかり氏の「短歌の魅力」についての講演と、この大会の選者をしている、栗木京子氏や島田修三氏の歌評をじかに聞きたいと願ったからです。その大会の様子の一部を紹介します。

 なぜ蒲郡市で藤原俊成の短歌大会が開催されるのか

 「小倉百人一首」の選者として有名な藤原定家の父である、俊成の名を冠する大会が、なぜ三河湾を臨む蒲郡市で行われるのだろうか。「蒲郡開発の祖 藤原俊成」と大書し大会で配られた資料によれば、俊成は平安時代後期の1145年に、三河国の国司(現在でいう県知事)に任命され、3年5か月の間に、今の蒲郡市の中心部を開発した、という。

 大会大賞二首の紹介

(愛知県知事賞)
   
青紅葉窓の()に揺れ教室はガラスの明るき水槽になる  
                      三重県鈴鹿市  森谷
佳子

青紅葉は初夏の楓の青葉のことと、初めて知りました。人さまの歌を読むと、未知の言葉と出会い、戸惑いと無知をさらす恥じらい以上に「言葉の扉」が開かれていく喜びを感じる私です。
「教室を明るい水槽に見立てる意外性に富んだ発想……爽快なイメージを描いた一首」(島田氏)。「明るさと見立てがよい」(小島氏)。

 

(蒲郡市長賞)

  目覚めから独りなんだと気づくまでまだ夫がゐる甘やかなとき  
                     静岡県磐田市  松島 良江

目が覚めて現実に戻ると夫の不在を知ることになる。夢の余韻にひたるひとときを〈甘やかなとき〉と表したところに切ない愛情が湛えられており、心を打たれた」(栗木氏)

 

                  (寄稿・水甕岡崎支社 佐野都吾)







  木村美和と重吉知美で、石井僚一第一歌集『死ぬほど好きだから死なねーよ』批評会(2018年5月5日・中野サンプラザ)に出てみた。既にネットで感想がたくさん上がっているようなので、私は勝手に書かせてもらう。
 登壇者は、荻原裕幸、服部真里子、小原奈実、情田熱彦の4名。結論から言うと、登壇者が全員真面目で大変によかった。私がこの手の批評会に行かなくなったのは、態度の悪い評者への不快感からである。どう態度が悪いかと言うと「だってわかんないからムカつくんだもん」と投げ出すのである。あと、知らない言葉について調べてこない人もいた。言っておくが、若年層だけではない、還暦ぶっちぎりのベテラン大歌人の話である。その中で例外として「中部短歌」の古谷智子さんは絶対に安心できる人で、この人がいたら他の評者が全員ひどくても参加費を払った甲斐があるものだと思えたぐらい、まともで真面目な人だ。
 脱線したが、まあそういう経験があるので、4人が4人とも真面目な批評会というものには少し驚いた。情田熱彦さんが短歌作品だけでなく石井僚一の人格に言及するあたりは評価が分かれるだろうが、1人ぐらいは変化球を投げてもいいのかもしれない。むしろこういう「人格」べったりの話は、一部の歌人たちには馴染みやすい話ではないか。私は作者の人格などどうでもいいけど。
 4人の報告内容についてはここでは書かない。ググってくれ。だけど、わざわざ登壇者に立候補するぐらいの服部真里子さんの石井僚一推しが迫力あってクラクラしたということは間違いないだろう。私が個人的に良いと思ったのは、小原奈実さんの報告だ。「分かりにくい歌集をきちんと読んでみる」という分析的態度に、私は好感を持った。彼女は、作者が人間を信用し、その他の記号(本、言葉、短歌)がそれに対立していると考えているのでは、という仮説を立てながら慎重に話を進めていた。こうしたなるべく客観性を保とうとする態度は、研究者に多く見られる。大して作者推しでないことを表明した上で安易に投げ出さないで、分析の対象としてなんとか抱えていく様子は、誠実だと思う。
 会場からは中高年層のベテラン歌人が発言者として選ばれ、先輩歌人としての薀蓄やアドバイスをありがたく流していたが、その中で辰巳泰子さんの発言の一部が印象に残った。

プールに金魚が鮮やかでどの子がわたしたちだろうねってこれからすくうやつだよ

 この歌は、女性の問いに対して男性が「これから掬って家に持ち帰る金魚だよ」と答える、この掛け合いがいいという。辰巳さんの発言はもっと明快で分析的であったが、私の記憶が曖昧で申し訳ない。しかし、この話は私にとってある意味登壇者たちより重要だった。つまり、一般に分からないとされる歌について論じること以上に、分かりやすい歌について論じることも大事なのではないか。私はこの歌集がいまいち分かった気になれなくて、特に過剰な字余りのリズムが理解を妨げてきつかったのだが、こういう「私が分かったと思った歌」について語ることも作者に近づくルートなのではないか、と感じだのだ。

(重吉 知美)

関連記事
石井僚一『死ぬほど好きだから死なねーよ』~言葉の力で愛に挑む(木村美和)
http://livedoor.blogcms.jp/blog/kimuramiwa-suibaika/article/edit?id=7763203

 

  429日、神戸短歌祭(兵庫県歌人クラブ主催)が県民会館パルテホールで開催され、高橋睦郎氏の講演が行われました。演題は「『うたふ』ということ」。高橋氏にとって「うたふ」とはどういうことか、興味深い話を聞くことができました。以下、簡単にまとめてみました。
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〈うたふ〉
「うたふ」の語源は「訴ふ」だといわれている。他者に向かって思いを訴えること。その究極の他者は恋人であり、最終的には神だろうと思われる。

〈こひ〉
「恋」、動詞ならば「恋ふ」。「恋ふ」の核心は「こ」であり、カ行変格活用の「く」の命令形の「こ」 で、こっちに来い、来てほしいと相手に言うこと。言葉は本来相手に対して発するもので、それは命令や懇願であことから、動詞のもとは命令形だと考えられる。

そこから発生した「恋」こそが詩歌の基本である。

 

〈ダイアローグ〉
歌は本来呼びかけるもの、ダイアローグである。しかし最近の歌はモノローグがほとんど。詩人のTS・エリオットは、本当の詩である証拠は〈500年前の人がそこにいて対話ができると感じられること〉という。

まなぶ〉

昔は歌を学ぶ場があった。国学は歌学であり現在も結社はあるが、現代は歌人のひとりひとりが学ぶ場であり、過去未来同時代とのダイアローグを目指すときに来ている。

ダイアローグは声に出してのダイアローグでありたい。声に出すことは呼びかけること、呼びかける対象が不明でも声に出せば必ず誰かに届く!



                              (加藤直美)

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