水媒花

みんなで綴る短歌ブログ。

このブログで、共に短歌を学び、短歌で遊べたら幸せです。
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批評会/大会レポート

3人目のパネラーは清水正人氏です。
最終発言で、また司会を兼ねており「ここまでで話題にされなかった点を」ということで、お話しくださいました。
※簡単な抜粋メモです。お気づきの点等ございましたらお手数ですがお知らせください。

Ⅰ ユーモアとアイロニー
 ユーモアの奥行きにはアイロニーが必須である。アイロニーにユーモアが欠けていたのでは、聞くに堪えないのと同様に。有無を言わせぬ痛烈な皮肉を纏った著者の諧謔はすこぶる健康である。(レジュメより)

  しあはせであるしわよせがやつてくる皆様にはご健勝のことと
→一つまみの塩が、ある種の奥行になる。

  石鹸を使ひ終はつた午後届く喪中葉書に咲く胡蝶蘭
→石鹸は、終わりに近づくと無くなったり、新しいものに貼り付けたりする。それを最後まで使い切る作者の午後。

  玉かぎるハローキティは前足でペロペロキャンディー持つたりもする
→「玉かぎる」は「ほのか」「夕」「はろか」などにかかる枕詞。「はろか」⇒「ハロー」⇒「ハローキティー」と活用?!

Ⅱ 特権的肉体考
 肉体を持たない人間はいない。存在はその始まりからすでに特権的なのである。とりわけ著者の肉体は、著者の言葉によって異化されて、不思議な量感を獲得した。(レジュメより)

  欄干にいつまでも胸押しつけて水面見つめる少女であつた
→著者の歌に出てくる胸は、乳房というより大胸筋がイメージされる。欄干にいつまでも押し付けている肉体感覚。

  水は青く、ないと言ひかけザラザラのプールサイドに膝抱へゐき
→〈ザラザラの〉という肉体感覚。その中で膝を抱えている。

(水甕岡崎支社 木村美和)



「木ノ下葉子『陸離たる空』を読む会①~加藤英彦氏」に引き続き、②田口綾子氏の発言です。
※簡単なメモの抜粋です。お気づきの点等ございましたら、お手数をおかけしますがお知らせください。

Ⅰ 凝視
 目力すさまじい作者である。作者は、都合の悪いものをシャットダウンしないことを、強いと思い、大人と思い、そうなれないと言う。異常なまでに目の前の物に執着する。ただ見るのではなく、正しさへの希求につながる。

  瞼より眼が偉いばつかりに静かなひとになれないと泣く (P122)

  目を開けて生まれたる我まなこには母の痛みの入らむばかりに (P133)
  目の前で色の褪せゆくことのなき紫陽花の玉を日暮れまで見つ (P149)


 
Ⅱ「正しさ」への志向
 
  視野の端の眼鏡のフレーム消し遣りて仰ぐ景色を二刷(にずり)と思ふ (P26)
→フレームの無い景を本当とまでは思っても、なかなか二刷までは思わない。本当の景、つまり正しいと思う景は、しかし私が加工した景である、と作者は思っている。

  真つ白にこんなに白くなるのかと指ばかり見る顔よりも見る (P48)
→本当は顔を見るのが正しい。でも指を見てしまう。理想の正しさとずれてしまう自分。

Ⅲ「正しさ」のバリエーション
「見る」以外の例

  お大事にと言はれて気付くさうだつた私は患者で貴方は医師だ (P48)
  金環日蝕まさに輪になる瞬間に人の噂を始むる母は (P188)

Ⅳ 聴覚への広がり
 歌集前半は視覚優位。後半は聴覚に取材した歌や破調が出てくる。

  葉擦れ鳴る中庭はどこも閉ぢられて風だけが去るしまとねりこ揺る  (P165)
結句八音は歌集中唯一では?

Ⅴ 過去に向き合う
 過去の助動詞の使い方が独特。

  死ぬということば覚えてのち暫し生くといふ語を知らずに生きき (P17)
  別館五階緩和ケア科の廊下には厚き絨毯敷き詰められき (P43)

→生きるとか、絨毯が敷き詰められているとか言うときに通常、過去「き」を使わないのでは。このような形で過去の助動詞を使う作者の思いを象徴するような歌が次の歌。

  現在を過去へ押し遣るやうにして定まらぬ夜のアクセルを踏む (P10)


~つづく。次回は清水正人氏です。

(水甕岡崎支社 木村美和)



 木ノ下葉子『陸離たる空』を読む会が、12月9日、東京四ツ谷のプラザエフにて行われました。パネラーは、加藤英彦氏(Es)、田口綾子氏(まひる野)、清水正人氏(水甕)で、出席者は約50名。パネラー各氏の誠実で丁寧な姿勢が会全体の雰囲気を作り、読む会から懇親会まで終始和やかな雰囲気で、多角的に読みを深めることができました。
パネラー各氏のご発言を、簡単に記します。
※簡単な抜粋メモです。お気づきの点等ございましたらお手数ですがお知らせください。

加藤英彦氏
【Ⅰ】内面の言語化
 作者(木ノ下葉子)は、同年代(若手)のどれとも交わらない感性を持つ。全身から湧くエネルギーの質が違う。それは、ものすごく大きな欠落を埋めようとする切実さの内圧とも言える。
  
  父は茂、妹は梢、風はいつも固有名詞の彼方から吹く
→象徴的な歌であり、〈風〉には近しいものを感じる。

  言へなかつたことばは川を下りゆき汽水となりて頬を伝へり
→内面の重量を支えきれなかった。

  昇っても見下ろすことを赦されぬ坂を何処まで昇れば良いか
→内面への問い。坂は、実際の坂とも「生」とも読める。「生」の行き着く先は死。

【Ⅱ】死と再生の円環

  生まれたら一度死ぬだけ真つ直ぐに歩いて渉る遠浅の海
→「真っ直ぐ」は、他の歌にも見られる。真っ直ぐ行くことが作者の基準。とても純粋なひたむきさ。

  金魚掬ひのごとくささつと健康な自己を掬つて育てなければ
  リスペリドン、クエチアピンにビペリデン、我を生かしてくれよ初雪
  入口はこの白きドアのみなればいつの日か此処を出口となさむ

→生きようとする歌。それに対し、

  死ねばもう眠くないんだシャッターは引き上ぐる時意外と軽い
  我といふ生をあなたに返すからあなたが笑つて笑つて捨てて

→死の方へ振れている。生(まっとうに生きようとするひたむきさ)の反動。これが詠う必然性へ直結している。必然性の強度が同年代の中でも突出している。

【Ⅲ】父・家族

  手の小さき妹が花嫁になるわが妹がもみぢの下で
  熟睡(うまい)する母を初めて見し夜明け漕ぎ出ださむと乗りし方舟
  片耳より眠りに落ちていく父の最後の音になりたかりけり

→家族というより、父と私、母と私、妹と私、という風に詠まれている。
父が、互いに最も良き理解者であり、没入、自己投入しているのに対し、母との関係には距離が見られる。

【Ⅳ】感性への振幅

  よしずよしずと売る声のする雲間かな目を閉ぢてゐる方が眩しい
→目を閉じる(現実に消えている)ほど記憶に鮮明に残る

~つづく。次回は田口綾子氏です。

(水甕岡崎支社 木村美和)





  

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 12月2日京都で現代歌人集会秋季大会が開催され、米川千嘉子氏の講演「人間的なるものの深さへ~岩田正と窪田空穂~」を聴いた。不勉強な私は、岩田正は馬場あき子さんの夫で、1年程前に亡くなられたこと以外の知識はほとんどなく、短歌総合誌で時々作品を読む程度だった。

 講演のレジュメより岩田正の歌をひく。

  ①餃子食べし美人と前後し店を出るきみもニンニクわれもにんにく『レクエルド』
  ②九条の改正笑ひ言ふ議員このちんぴらに負けてたまるか『視野よぎる』
  ③花林糖をバリバリ齧る嚙むうちにこいつめこいつめといふ気でかじる『背後の川』
  ④ぼけし老いとぼけのふりしてつきあへど五たす五は十これは譲れぬ『柿生坂』
  ⑤老い達の競ふ百人一首さてはまず空札(からふだ)一枚わが歌を読む  
  ⑥安倍首相嫌ひなれどもテレビ見るはげしく嫌ふ元気出るゆゑ


 岩田正がこんなに楽しい歌を詠っていたとは!岩田は晩年、週1回デイサービスに通っていたそうだ。もちろん惚けていないしお元気だったのだが、④⑤のそこでの人間観察をした歌はユーモアがあり微笑ましい。②9条改正、⑥安倍首相の歌もくすっと笑ってしまうのだが、心の奥底には深い思いがあったにちがいない。老いや戦争や政治について直接的に語るには短歌という器は小さすぎる。しかしいずれの歌も表現が具体的で、ときにシニカルで人を見る眼差しがとても温かい。これらの歌には細部を丁寧に詠うことで、老いるということの切なさや今の政治への苛立ちややるせなさ、そんな思いを感じるのである。

 「角川」11月号に、妻である馬場あき子さんのこんな歌が掲載されている。

  あのひとがうつればテレビ消すは誰たれもとがめず萩の花ゆれて 馬場あき子

「あのひと」は安倍首相。⑥の歌を合わせ鑑賞すると、とても味わい深い1首である。

     (水甕芦屋支社 加藤直美)

85()愛知県豊橋市豊橋商工会議所に於いて、田村昌子『せんにちこう』、丹羽智子『牟呂町字作神』の、「二歌集を読む会」が行われました。パネラーは、小塩卓哉氏()、春日いづみ氏(水甕)、清水正人氏(水甕)。各地より約100名の歌友が集い、互いの読みを深める充実のひとときとなりました。一部、紹介します。

 

『せんにちこう』について。

・音調をストイックに守り、一字空けもせず、視覚でとらえるリズムも守りながら、七七を、四三三四と刻むなど、単調にならないよう工夫された様子が見て取れる。(小塩)

・身辺を素材にしたものは「表現」をせねば日記になってしまう。ひそかに用いられる技法の数々。時間の往還。(春日)

・長い歌歴を持つ歌人が一冊にまとめる時の構成の難しさ。いかに捨てるか、また掘り起こすか。(清水)

 

『牟呂町字作神』について。

・地名をタイトルにした歌集は、なかなか無い。地名は歌枕であり、『牟呂町字作神』も作者にとって言葉の力を持った歌枕である。(小塩)

・連作や一冊を通して作者が見えてくる。本歌集は、一冊の連作である。(春日)

・田村氏丹羽氏両名が、意識するともせざるとも現れる、榛名貢先生(水甕)の教え。①具体があること、②(言葉の、事柄の)続き柄を新しくすること、③爪先立って我慢すること(エリオット:「表現とは爪先立って我慢すること」)(清水)

(水甕岡崎支社 木村美和)


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