水媒花

みんなで綴る短歌ブログ。

このブログで、共に短歌を学び、短歌で遊べたら幸せです。
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読書

 同居人が『週刊少年ジャンプ』を買ってくるので、目を通すようになった。私が高校生だった八〇年代後半と同様、友情・努力・勝利がテーマであることは変わらないようだが、少し驚いたのは「女の子が主人公」という連載があることである。
  「約束のネバーランド」の主人公・エマは、普通の小さな少女だ。優秀な頭脳を駆使して(ある意味チートだが)勇気を奮い起こし、仲間たちと協力し合いながら、自分たちを食べようとする「鬼」に抵抗する。打ち切り作品の多い『ジャンプ』で人気を保ち続けて生き残り、単行本が10巻まで出ている看板作品だ。
 今年から読んだ限りの感想だが、主人公が女性である必然性をあまり感じなかった。エマが「少年」であっても物語に支障はないだろうし、人気はあっただろう。だが、女の子が友情・努力・勝利を実現させる物語を読んだ少年たちは、女性の成功もきちんと認められる大人になってくれるのではないだろうか。読者層の変化を指摘する意見(『少年ジャンプ』200万部割れ、『約束のネバーランド』に見る連載漫画の変化:財形新聞)もあるが、それでも『ジャンプ』がこの漫画を連載させている意義は大きい。
 女の子が成功する物語は、女の子を勇気付け、他の性の人々をも必ず勇気付ける。短歌の文化はどうだろうか。

 (水甕 重吉知美)

「パナマ文書、ウィキリークス、プーチン、習近平、ジョン・ル・カレ、モサック・フォンセカ、ジョン・ビンガム、ヴィヴィアン・グリーン……」帯には、一つだけで一冊になりそうな固有名詞が、ずらりと並ぶ。ページを開くと、体制のなかで生きるしかない個人の、生きるための、または魂の自由を得るための戦いが、スピード感あるタッチで描かれている。
「敵を知り、己を知れば、百戦殆うからず」とは孫子の言葉だが、第二次世界大戦も、イラク侵攻も、トランプ大統領誕生も、砲火を交えない情報戦ですでに優劣が決していた。
そこで暗躍するスパイたちの話である。
国家権力を相手に、命を懸けてつく「嘘」のめくるめく輝き。虚実定かならぬ日常をおくるスパイにとり、いまここに在るということの「真実」。己自身をも騙し、人に真実の感動を与えるホンモノの「嘘」。それが世界を動かす「真実」。……何が真実で何が嘘だか分からなくなってくる。
体制の枠の中にありながら、なんという自由であろう。なんという孤独であろう。
或いはスパイとは、生まれる前からそのように生きることを定められているのかもしれない。


うたかたの世界を紡ぎだすロニーの呪術力は、間違いなくホンモノだった(P94稀代の詐欺師ロニーの知人)

「そう、私は嘘つきなのです。嘘つきとして生まれ、育てられました。そして生きんがために嘘をつき続ける世界で鍛えられ、いま小説家として嘘つきを実践しているのです」(P100ジョン・ル・カレ)


物語が書かれた時点ではいまだ現実のものになっていない出来事をフィクションだとして描き、近未来にそれが現実のものとなる。これこそがインテリジェンス小説なのである(P124佐藤優) 

「最後の勝負は、いかに敵の懐深く飛び込み信頼を勝ち取れるかにかかっている。人間力を駆使して持ち帰る情報(インテリジェンス)だけが、ダイヤモンドのような輝きを放つ」(帯より/P248)

(水甕岡崎支社 木村美和)






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  知の巨人の異名を取る佐藤優の著書です。
「旅文学の新たな金字塔」 とありますが、読みようによっては、教育書であり、青春小説であり、哲学・宗教入門書であり、国際関係概論でもある、読み応えある内容でした。


 1975年、15歳の作者()は、高校入学祝として両親から一人旅をプレゼントされます。共産圏であるソ連・東欧への42日間の一人旅。両親には相当勇気のいる決断だったことでしょう。多くは登場しませんが、息子とのかかわり方の随所に、信念と愛情、そしてわが子といえども一人の人間として敬意を払う姿勢を感じました。


優は、進学校で、応援団、生徒会、文芸部を掛け持ちしています。先生も生徒も、大学受験のことだけを考え、「それゆえに」、大学受験について一言も語らない。英語も数学もひたすら丸暗記という授業。優は、学校生活に息詰まりを感じ始めています。一方、独学で百科事典や思想史を調べ、ハンガリーにペンフレンドを持ち、ロシアの情勢や言語を学ぶ。旺盛な好奇心と探求心で実に多くのことを吸収しています。旅行会社や大使館へも自ら足を運び、周囲の助けを借りながら旅行の準備を整えました。


 日本とは社会体制の異なる国々
で遭遇したさまざまな出来事が、文化の違いや、国民感情の機微と共に、活き活きと伝わってきます。優は、15歳と思えないような豊富な知識を持ちながら、それに縛られない純粋な目で、物事をよく観察し、人と積極的に交り合おうとします。そして素直に人の話に耳を傾けます。
 そうして肌で感じた事柄は、恐ろしいこと、悲しいことも含め、大変興味深く、一息に読み進めました。知ることは愛することにつながります。世界のどこで、どのように暮らそうとも、人と人とは通じるものの在りそうな気がしてきました。

本文より、印象に残った台詞を記します。


「左翼系の雑誌を読むのも、それはそれでいいです。ただ、そのときは同じテーマについて、『文藝春秋』もきちんと読んでおいた方がいい」 (上P44 本田さんのお母さん)

・「あの人たちは、優秀よ。ただし、世の中を批判的に見過ぎている。(中略) 男の子は世の中の隅に行くことを考えるのではなく、正面から立ち向かってほしいの」 (上P45 本田さんのお母さん)

・「ソ連の主張に同調する必要はまったくない。(中略) お互いの利益になる分野を積極的に拡大していくことが重要だ。(中略) お互いにもっと知る努力をするという意識改革が必要だ」 (下P77 篠原さん)

・「(前略) 結局、教師が学生に伝えられることはほとんどない。教育とは関係に入ることなのだ。師弟の関係を構築することができれば、それで十分なんだ」 (下P430 同志社大学堀江先生)

・「ほんとうに好きなことをしていて、食べていけない人を私は一度も見たことがありません」 (下P431同志社大学堀江先生)

・「いい選択をしたわね。面白い人生になるわよ」 (下P434 YSトラベル舟木素子さん)

                                               (水甕岡崎支社 木村美和)

                                                                                                              
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1番好きなのは、2つ目の作品です。

「とうふの人」

六月のある日
とうふの上で
寝ころんでいる人を見た
思わず
 気持ちよさそうですね と
声をかけると
 ちめたくて
 ちもきいいです
不思議な
答えが返ってきた

(中略)

くつを脱ぎ
そっと寝ころんでみた
 ああ
 ちめたくて
 ちもきいいな と
思うやいなや
ぬむぬむ
身体が沈み始めた
困ったといえば
なるほど困ったことだが

(後略)

このあとどうなるでしょう?ご興味のある方は、どうぞ詩集を読んでみてください。
豆腐の上に寝ころぶだなんて、発想だけで面白いですね。
これほどまでにあり得なさそうな設定が、なんとも自然に感じられるのは、
じめじめと暑くなり初めて、豆腐の気持ちよさに触れたくなりそうな「六月のある日」であったり、日本人なら誰でも(?)その気持ちよさを知っている「豆腐」であったり、「くつを脱ぎ」のこれまた日本人に馴染み深い、それもこの場面でやや間の抜けた感のある礼儀正しい作者像であったり、「ぬむぬむ」の絶妙さであったり……。
そして、言葉遣い!

  ちめたくて
  ちもきいいです

なんでしょう。この気味の悪さは。
豆腐の上だからと言って、小さな人でもなさそうです。つぎの日には、そこに大人である作者も寝ころぶのですから。年齢不詳。性別も……あるのかな。
不思議な、人ではないような人の、そう、まさに豆腐の上に寝ころぶような不思議な人にぴったりの言葉遣いです。
それらに不思議と説得されてしまうのでした。


友人が、お薦めの詩集を貸してくれました。
空間が良いのだとか。
帯には、

  それからは
  僕が歩くたびに
  ころころ
  音がするようになった

   奈良ののほほん詩人、西尾勝彦の詩集

と書いてあります。
イラストは、「食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』でおなじみの安福望さん。

詩集をあまり読んだことがないので、軽い感想と、
いいな~、と思った詩を少し紹介することにします。
ただ、詩とは、どこまで引用が許されているものなのか、、よく分からないので、
中途半端に、ほんとうに少しだけ。

「半笑い」
僕は
日々
貧しい農夫のように
過ごしています
そして
いつも
しずかに
半笑いなので
よほどの人しか
近寄ってきません
(中略)
僕もお返しをしようと
ごそごそしますが
何も見つかりません
しかたがないので 
 ごめんなさいね と
真顔で言って
また
半笑いに戻ります

冒頭の詩です。最後に一瞬真顔になり、また半笑いに戻るところが好きです。
作者は半笑いをしている自覚があり、自分のことを客観的に、それも随分と的確に捉えています。
意図的に半笑いをしているのかもしれません。そうだとすると、やや小賢しさも感じられます。
そうでなければ、ある頃までは、半分ではなく全面に笑い顔を見せているつもりだったのかもしれません。楽しそうな、幸せそうな、決して傷ついていないような顔をしているつもりだったのかもしれません。
いずれにせよ、半笑いはいつしか作者の顔となり、外の風を受けながら、作者の心を大切に守っているように思いました。

                           (木村美和)







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