水媒花

みんなで綴る短歌ブログ。

このブログで、共に短歌を学び、短歌で遊べたら幸せです。
宜しくお願いします。

《このブログでやりたいこと》
①ネット歌会 ~どなたでもお気軽にご参加下さい!第三回水媒花歌会は、詳細の決まり次第ブログで告知します。
②学びの共有 ~研究発表、短歌イベント参加レポート、読んだ歌集の感想など~
③交流    ~告知やちょっとした日常風景、作品など~
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エッセイ

9月12日、キラーズ  (The Killers) の来日公演を日本武道館で聴いてきた。

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ボーカルのブランドン・フラワーズとドラムのロニー・ヴァヌッチィがサポートメンバーを連れて来日

 キラーズはアメリカのバンドで、イギリスでも人気がある。在日英米人のファンだろうか、会場内は英語を話す人々が多かった。一階席の私の隣にも若い白人女性の二人組が座り、英語で会話しながら開演を待っていた。
 ライブが始まると気づいた。この二人、ガチファンだ。
 一曲目の "The Man" からアンコールの "Mr. Brightside" までおよそ二時間ほど、ずっとスタンディングで歌詞をボーカルとともにずっと一緒に熱唱しているのである。君ら、アリーナ席の方が良かったんとちゃうんか。(ただし、途中の "Tyson vs. Douglas" では「え?それ歌うの?」とばかりに戸惑って歌っていなかったのが個人的にツボだった。)また、さすが英語話者、英語うめーなーと思ってた。
 オーケストラか合唱のコンサートにしか行ったことがなかったので、聴衆が演奏者と一緒に歌うというのは面白い体験だった。

 一方で、この彼女たちにとって異国の地で母語の歌を聴き、歌うというのはどんな意味を持つのだろうか、と考えさせられた。沖縄研究の社会学者の本に、こういう一節がある。
昔、私が在籍した大学院の博士課程に、沖縄から進学してきた院生がいて、彼女はウチナーグチもわからないし、沖縄なんてぜんぜん興味ない、と言っていたが、いちど大阪で飲んでカラオケに行ったとき、「てぃんさぐの花」を歌いながらボロ泣きした。(岸政彦『はじめての沖縄』新曜社、2018年、pp.59)



 また、海外在住の日本人・日系人が短歌制作を始め、続けるというケースも多い。
 英米人、沖縄人、日系人の体験をすべて同一視することはできないが、異郷で母語の詩歌を奏でるという行為には、本当にどんな意味があるのだろう。日本本土の歌人が日本語で短歌を詠むことに無自覚でいられるのは、マジョリティ特権である。私はマジョリティとして、自分と違う人たちがいるということをなるべく忘れないでいたい。

(水甕 重吉知美)

 参考までに、ライブでも演奏した "Run For Cover" のPVを。



 木村美和さんの地域には平和園が、加藤直美さんの関西圏には葉ね文庫があるけど(記事「葉ね文庫に行ってきた」)、東京にも短歌の熱い聖地ができたぜ!
 と言っても8月18日・19日の二日間限定だが、七子さん(Twitter: @7co_ta)がダイニングバーを借りて「俳句・短歌カフェ 17・31」を開かれたのである。

(※注意 このイベントカフェは終了しています。)


 七子さんは「高村七子」名義で俳人・歌人として活動されており、歌人としては「かばん」 に所属。『赤いあかし』という同名タイトルの句集・歌集が面白い。私の友人に、短歌は詠まないけど七子さんの歌集を貸してみたらはまった、という人がいて、この人を誘って二日目の8月19日に行ってみた。

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 東京・浅草のダイニングバー「安寿」の外観。俳句・短歌カフェは、ここを会場として開かれた。

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 店内の入口付近には、短歌や俳句のフリーペーパーが陳列。

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 カウンター席には、賛同者から寄せられた俳句や短歌の本、歌誌・同人誌がずらりと並んでいた。店内の客が自由に閲覧できた。

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  私がもらっていった短歌のフリーペーパー。

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 飲み物はアイスコーヒーなどが100円(安過ぎ)、「俳句・短歌カフェ 17・31」というシャレからアイスを取り寄せての販売もしていた。アイスには、詩歌にちなんで店内メニューとしての面白い名前をつけている。
 友人は尾崎放哉の俳句にちなんだ「すばらしい乳房だ蚊が居る」という白バラのミルクアイスを、私は正岡子規の俳句にちなんだ「鐘が鳴るなり法隆寺」という福岡・朝倉市の柿のアイスを注文。柿アイスはシャーベットというよりジェラートのような味わいで、たいへん美味しかった。同行した友人によると、朝倉市は柿の名産地なのだという。

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 壁には、賛同者や来客たちによる俳句・短歌作品の短冊が張り出されていた。色紙は、俳人の佐藤文香さんによるものである。この人の句集を閲覧したが、とても面白かった(語彙力)。
 僭越ながら、私も二首の拙歌を貼らせてもらった。

ステゴザウルストリケラトプスプテラノドン少女の耳に覚えた名前(『ビーンズ』vol.4, 2017年)
そよ風にアメリカ梯梧が咲いている十月九日今日はゲバラ忌 (『水甕』2018年2月号)

 13時からは、七子さんと三名の方が句会を始められた。その背後の席で、友人と私は閲覧用の本に読みふけった。滞在時間は二時間弱だっただろうか。静かで楽しい時間を過ごせた。

 二日間の期間限定カフェだったが、準備で苦労をされたのではと感じた。ぜひ第二回をと期待してしまうが、その実施には賛同者の私たちが何らかの形で、特に資金や売上などの金銭面で協力することが必須条件になるだろう。
 七子さんと協力者の皆さんに感謝しつつ、報告終わり。

(水甕 重吉知美)

五十年つながず過ぎし夫の手の麻痺するをとり花のもと行く
藤田正代(『幻桃』2018年7月号)


 あるご縁で短歌結社・幻桃の結社誌7月号をご恵投いただいた。全国大会の特集が組まれ、その歌会や黒瀬珂瀾氏の招待講演が記録されている。荻原裕幸氏の連載や会員のエッセイなど、散文も充実している。特に、各地域の歌会の記録がしっかり報告されていて、歌会に力を入れている結社だと感じた。自分の所属以外の結社誌を読むのは良い刺激である。
 掲出歌はテーマを持つ連作十首の最後の一首。連作の中で重要な意味を持つが、一首取り出して読んでもその意味は十分に理解できるだろう。夫の突然の麻痺がきっかけで、おそらく初めて手を繋いだという夫婦。彼女が彼の手を取るのはもちろん介助の為なのだが、二人は何を思っただろう。気恥ずかしいか、それとももっと早く手を繋いでいればと後悔したか。彼の方はそれどころではないかもしれないが、連作を通して読むと彼女の存在が彼の麻痺による心細さを支えているのが分かる。

泥のやうに目覚めてをれば麻痺の手を冷たくわれに重ねてきたり
藤田正代

 私は十年足らずで結婚生活を終わらせた。これからパートナーができても、五十年も一緒にいられることはないだろう。だからこそ、この二人には、リハビリが成功した後ももっとずっと長く手を繋いでいられるようにと願う。

 他に、気になった作品を挙げてみる。
首もとのネッカチーフは赤だったモノクロ写真の母が微笑む  岩崎勢津子
だいぢやうぶオーレリアンの庭の樹の葉うらにねむるよ蛹になつて  太田美千子
雨上がりの陸橋越えて畦道をどうもどうもと軽トラが行く  江口美由紀
鳥は雲になって畑のあぜ道に重いあたまの水仙あまた  豊増美晴
柴犬と駆けし堤にけふひとつ白きたんぽぽ風にそよげり  棚橋和恵


(水甕 重吉知美)

 今年の4月はモッコウバラがずいぶん咲いていた気がする。歌会で次の歌を出してみた。

あの家は木香薔薇がよく咲いた仲良い夫婦が住んでいそうな

 参加者から肯定的な評価もあったが、春日いづみさんは平凡であることを気にされて、「もっとミステリアスにしてみて」とおっしゃった。
 改作して結社誌に投稿して採用されたのが、次の歌。

シルバーカーとベビーカーのある庭の木香薔薇は満開に咲く (『水甕』2018年8月号)

 ミステリアス……まではいかなかったが、人生を連想させる二つのアイテムを置いた。こうなると、私が現実に見たものではなくなる。しかし、どちらが短歌としてはよりマシかは明らかだ。
 いづみさんは時々、全部本当のことを書こうとしなくていい、ちょっと変えることで詩にすることができる、とお話になる。想像力を働かせて、日常を詩的にするのである。

(水甕 重吉知美)

このブログの主催による第一回目のネット歌会を行ないました。
いくつか気づいたことを記してみます。 

第1回水媒花歌会のお知らせ


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