水媒花

みんなで綴る短歌ブログ。

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エッセイ

先日、映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観てきた。




ちょ、ちょっと待って!これ短歌ブログだから!あとで短歌の話するからタブを消さないで!!! 

イギリスのバンド・クイーン (Queen) の伝記映画である。1973年のバンド結成から、人気最盛期、バンド解散の危機を経て、1985年のライブエイド (Live Aid) での演奏までを描いている。ボーカルのフレディ・マーキュリーは、この後、エイズで1991年に亡くなっている。

伝記映画ではあるが、マーキュリーのマイノリティ(特にゲイ・セクシュアリティ)としての人生に焦点が当てられており、他の存命のメンバー三人のプライベートな部分はほとんど表現されていない。
ファンに知られている史実とは異なる描写もあるようで、例えばマーキュリーが最晩年の恋人ジム・ハットンと出会った時期と、HIV(エイズウイルス)感染発覚の時期を前後させているらしい。
まあ、私、クイーンのファンでもなんでもなかったんで、全部クイーンファンの同居人に聞いたりググったりしたことなんですけどね。

短歌の歌集を何冊か読んだことのある人なら分かるだろう(はい、ここから短歌の話です)。事実をすべて正確に記述して行くことと、表現することが一致するとは限らない。
短歌の先生が歌集を出されたときに話してくださったのだが、作品の配列は必ずしも発表順ではないという。時系列を考えながら連作などの順番を構成して一人の主人公の物語を作るという、そんな趣旨のお話だった。つまり、その人は自分をモデルにした<私>を主人公に、一冊の歌集を表現しきったのだろう、と理解した。
すべてを記録して表現するということは不可能で、どの事実を採用して時系列を組むかということも、表現の技法なのである。

一方で、『ボヘミアン・ラプソディ』については、BuzzFeed の Pier Dominguez が、マーキュリーのマイノリティ性の表現が不十分かつ不適切であることを指摘している。
私も、マーキュリーの元婚約者メアリー・オースティンとの関係がロマンチックに描かれすぎていることが気になった。オースティンはマーキュリーのアンドロジナスとしての魅力を開眼させ、ゲイとしての自認まで導いた上で身を引いて(史実とは違うらしい)、別れた後も良き友人として彼を見守り、ドラッグや見境のないセックスに溺れる彼を救おうとする人物として表現されている。つまり「ゲイに献身的に尽くしてくれる女性の友人」というイデアであり、ノンケ女としてはちょっとムズムズするのである。もちろんこれによって、ゲイに対する偏見が増長される恐れはある。
表現しようとするとき、事実を羅列するだけなんてことはできない。どの事実を採用し、時系列をどう組むか。そして、何を表現したか何を表現しなかったかで他者から批判を受けることは当然起こりうる。それは短歌であっても、結社誌に載せた一首の歌であっても同じことだろう。うん、無理やり短歌の話で落ち着けたぞ。

とはいえ、この映画は音楽が素晴らしく、ミュージカル映画としては最高だと思う。史実と異なると承知しながらも隣で見ていたクイーンファンである同居人は感動して泣いていたし、私のようなニワカでも楽しめた。子どもたちと観る人は、映画の後に1980年代のゲイの人々が置かれていた困難について話してあげてほしい。

(水甕 重吉知美)

このエッセイは、主に水甕社の会員に向けて書いています。

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私には子どもがいない。だからと言って別に子ども嫌いではないので、子どもの話は振ってくれても構わない。
しかし、子どもの話は、相手の話の進め方によってはこっちがキレたこともあった。そうなった時の話の進み方には、決まった規則があることに気づいた。今回はその話に付き合ってもらう。

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事例:
「お子さんは?」
「いません」
「作らないの?」
「できなかったので」
「あらー、治療すればいいじゃないの」

「◯す!!!!!!(# ゜Д゜)」
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お分かりだろうか。実は「作らないの?」の時点で◯意が既にマックスに達していたのである。

お子さんやお孫さんのいる人に問おう。子どもってどうやって生まれたっけ?

誤魔化すな!何がコウノトリだ!キャベツも関係ねえ!!!

そうです、子どもを授かるには大抵の場合、セックスが必要です。つまり面と向かって「子どもを作りなさいよ」というのは意外にはしたないことなのです。
それから子どもができないことをカミングアウトさせられるのは、結構辛い。自分の体に問題がある、あるいはあるかもしれないという話題は、かなりセンシティブなはずだ。そういうのを言わせるんじゃない。
さらに「不妊治療すればいい」と言われるのは、本当にきっつい。ガン患者に治療方針について口出しすることと同じぐらい無礼だ、と言えばいいだろうか。

私の経験上、この「不妊治療の成功者」というのが厄介だった。自分たちが成功したので「あなたも治療すれば子を授かる」「治療にも踏み切らないなんて努力が足りない」とやかましいことこの上ないのである。だいたい治療費だって安くないんだろ、出してくれんのかよ。私に足りなかったのは努力以前の金だ!バカ!!

……はっ!!( ゚д゚) 話を戻さなくては。

子どものいない人などが、一人の子どもを大事にしている人に「二人目は?」と訊くのも当然いけない。セックスなどの身体やプライバシーの領域に触れるだからだ。「一人目のお子さんを作った時はどんなセックスをしたんですか?」と訊くのと同じくらい失礼である。
さらにここでも「じゃあ二人目の養育にかかるお金をおまえが出してくれるのか」という、「金を出さないくせに口は出す」問題が同時に発生する。だから黙ってろ。

ここまで辛抱強く読んだ人は、子どもを作らないと決めているカップルにも「子どもは?」と訊いてはいけないのが分かるだろう。二人はそういうセックスをしないと決めているのだし、望まない子どもが生まれた後のリスクやコストを代わりに担うのでなければ、口を出してはいけないのである。

(水甕 重吉知美)

このエッセイは、主に水甕社の会員に向けて書いています。

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私はせっかちなので先に結論を書く。老若男女に関わらず、相手の身体にはなるべく触れない方がいい。

乳や性器や臀部に触れるなというのは当たり前だが、次のような行為もやめといた方がいい。
・肩を組む
・手を触る、握る
・背中を触る
・頭をポンポンと撫でる
・髪の毛を触る

ここまで「やめとけ」というのは、私たちが短歌だけで繋がっている他人同士だからだ。異性に多少触られても平気という人、同性同士なら平気という人、同性であっても他人に触れられるのが苦手という人、どんなに親しくて尊敬している相手でも触れられるのが苦手という人、いろいろな人たちが集っているはず。それなら苦手な人に基準を合わせるべきだ。

握手はどうなのだろう。日本には握手をするという習慣が根付いていないので、あんまり求めるべきではない、と、私は思っている。
例外を考えるなら、相手が女性で、その女性が握手を求めてきた時に限るのではないか(自分が男性でも女性でも)。
アイドルなどの握手会は、何がしかの対価を払うはずなので(サイン会の時に本を買うとか)、日本では金銭のかからない握手というのは希少なのかもしれない。

(水甕 重吉知美)

このエッセイは、主に水甕社の会員に向けて書いています。

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結社の内にも外にも、素晴らしい歌人はたくさんいる。もちろん、無所属の人たちも、専門歌人というほどでなくてもコツコツと作品を詠んでいる歌人たちだって。
そうした人たちを褒め称える際に、容姿には触れないほうがいい。だって、その人たちは素晴らしい歌人たちなのだ。見た目を褒める必要などないだろう。

歌人に限った話ではない。誰かを褒めるのに、人格や仕事ぶりなどを評価することはあるだろう。でも、見た目の話って必要ないよね?おたくの部下を評価するのに「君はピカピカの禿頭が素晴らしい」なんて言う必要あんの?

もうちょっと言うと、見た目の話は、陰口とか噂話としてならしてもいいと思う。だって、陰口って本人のいないところでするもんじゃん。
だけど、本人が見聞できちゃうところで、もっと悪いことには本人に向かって直接言っちゃうと、ハラスメント、場合によってはセクハラになるはずだ。(だからネットで書いちゃうのもダメ。)

美人歌人に対して「きれいですね」とか言っちゃうかもしれないけど、でも見た目の話をするようになると体の話になってしまいがちだ。特に、若くて健康な体を持った女性や男性を対象にすると。だから見た目の話は避けたほうがいいと思う。
こういう見た目の話は、セクシャルな放言につながる可能性がある。「おっぱい大きいですね」とか「いい体してますね」とか。こういうのはもうダメだ。「欲情しちゃいます」「エッチしたいです」は完全にアウトである。「あなたは素晴らしい人だ」と言うために、自分の性欲を表明する必要はない。

歌人を褒めたければ、作品や人格に言及する癖をつけたい。
「立ち居振る舞いが素敵で」とか「気配りの素晴らしい人」とか「話し方が上品だ」とか、見た目に触れなくても賞賛の表現はいくらでもある。

ちょっと結論を急いだ感じになったが、とにかく水甕社の諸姉諸兄は気をつけていただきたい。

(水甕社 重吉知美) 

このブログは、本来は結社を超えた活動をしたいという動機で始まり、結社の異なるメンバーとも運営している。だが、このテーマについては主に私の所属結社・水甕社の会員に向けて記事を書かせてほしい。

先に結論を言うが、セクハラをしてはならない。しかし、どんな行為がセクハラに当たるのかを分かっていない会員が多いのではないかと思う。だから、こういう行為はやめておけ、という私なりのアドバイスを少しずつ書いていきたい。水甕社の中では、あるいは結社外の人との間にすでにセクハラやパワハラが起きていたことだろう。だからこそ、結社の中から新しいセクハラ加害者を出さないように、新旧の会員を教育する(またはお互いに啓蒙し合う)必要があるのである。結社誌でやれよという奴もいるだろうが、そんな悠長なこと言ってられるか。

ちなみに、セクハラ加害者は年長の男性に限ったことではない。水甕は高齢女性が多く、年少の男性に知らずにセクハラしてしまうこともありうる。また、セクハラは同性間でも起こる。
もっと言えば、若い女性が年配の男性にセクハラをしてしまうことも(滅多にないだろうが)起こりうる。滅多に起こらない故に、被害に遭った男性はやはりショックを受ける。
例えば、私が先輩同人男性に「〇〇さんの〇〇〇はやっぱり〇〇〇〇ですか」と卑猥な言葉を投げかけたとする。彼は怒って怒鳴るかもしれない。この場合に怒鳴ることは決して間違いではないし、嫌なことに対して大声を出して抗議することは有効である。しかし、彼は私に怒鳴って抗議できたとしても、やはりショックを受け、後々まで悩むだろう。

更新頻度をどこまで上げられるか不明だが、なるべく短い記事を多めに書いていきたい。スマホでもケータイでもネットでブログが見られる会員は読んで欲しい。
我々が新たな加害者にならなければ、誰も被害に遭わないで済む。

(水甕社 重吉知美)

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