水媒花

みんなで綴る短歌ブログ。

このブログで、共に短歌を学び、短歌で遊べたら幸せです。
宜しくお願いします。

《このブログでやりたいこと》
①ネット歌会 ~どなたでもお気軽にご参加下さい!第三回水媒花歌会は、詳細の決まり次第ブログで告知します。
②学びの共有 ~研究発表、短歌イベント参加レポート、読んだ歌集の感想など~
③交流    ~告知やちょっとした日常風景、作品など~
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短歌ランダム


飛び立てる時を待ちたる蝶のごと立て矢結びの振袖の背な 

成人の乙女を縛る紐あまた 大人になれば自由でせうか

記念日を美白モードで撮るといふ新成人はプリクラ世代

振袖を矩形に畳む母の手の動きを思ふ成人の日に

六甲山に成人の日の雪が降る「木の気」も持ちたる東の方位 

           加藤直美『金の環』より

1月14日は平成最後の成人の日。成人式というのは本人より親の方が感慨深いのかもしれない。
掲出歌は5年前の娘の成人式の時に作ったものだ。二十数年前私が成人式の時に着た振袖を娘に着せた。本人は今風のもっとかわいらしいものを着たかったようだが・・・(水甕芦屋支社 加藤直美)

   冒頭「できるとはかぎらないけれどリプライで出た難題で短歌をつくる」という荻原裕幸個人企画に始まり、そのストイックで自信溢れる題を見ただけで恐れおののき表紙を閉じてしまったヘボ読者の私ですが、後日怖いもの見たさでもう一度開く。
 応募された難題、たとえば「来世で餃子に生まれ変わっても」(鈴木陽一レモン)とか、「眠れない夜に唱えると嘘のようにぐっすりと眠れる短歌。できれば二、三分以内に効果の出るもの」(龍翔)とか、「一世一代の恋の告白を短歌で」(月丘ナイル)とか、まさに無理難題の二十九首が見事な歌で完遂されていて、かっこよすぎる。
   たとえばこんな歌。

  たぶん宇宙の晴れ上がりから続いてるひかりの粒のあなたの小言
   (荻原裕幸  「宇宙の晴れ上がり」中家菜津子)
   4句目までの広大で美しくもふわふわとした長い修辞をもって言う言葉が「あなたの小言」。これよりも美しく、また懐かしく表現された「あなたの小言」を聞いたことがありません。「ひかりの粒」が、かけ離れた上句と結句とを自然につなげていて、上句に現実味を、結句に抒情を与えているようです。好きな歌です。

  何が禁じられたのかさへ話せない秋にしかあなたを愛せない
    (荻原裕幸  「自由題 ただしウ段音禁止」濱松哲郎)
  「自由題」とあえて書くところが憎いですね このような題を頂いたら、何をとっかかりにするでしょう。ウ段音を使わない言葉をまず思いつくまま並べてみるでしょうか。ア段から並べていてさっさといい感じにまとまったのかな、、あ、そんな単純に詠んでないですよね。ともかくア段ばかりの音の響きの明るさは危うさとなり、内容にまで及ぶ制約の息苦しさをさらに追い込む。言われてみればウ段音を持たない季節は秋のみですが、出てくる語の中で少しニュアンスが異なり、ここにわずかな空気の流れ(呼吸の許される隙)を感じました。題の縛りを逆に活かすバランス感覚に感じ入りました。

  亡命をなさざるままにふたたびの八月まぼろしの雪が降る
   (荻原裕幸  「塚本さんが43歳の誕生日につくってそうな歌」くらげ)
 短歌の練習で文体を真似してみるというのを以前話されていましたし、塚本邦雄の文体はお手の物かもしれません。ちなみにこの歌は「1960年代前半の塚本邦夫のパスティッシュっぽくしてみました」そうです。

 題詠難しかった~と、まるで自分が詠みきったような満足感
 題詠をするとき、「題からいったん目を逸らした方が書きやすい気がします」「いちばんの問題は、題詠をいうプロセスを外しても読むことのできる作品になっているかどうかかな」とのことです。メモメモ。。

(水甕岡崎支社 木村美和)



先日、映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観てきた。




ちょ、ちょっと待って!これ短歌ブログだから!あとで短歌の話するからタブを消さないで!!! 

イギリスのバンド・クイーン (Queen) の伝記映画である。1973年のバンド結成から、人気最盛期、バンド解散の危機を経て、1985年のライブエイド (Live Aid) での演奏までを描いている。ボーカルのフレディ・マーキュリーは、この後、エイズで1991年に亡くなっている。

伝記映画ではあるが、マーキュリーのマイノリティ(特にゲイ・セクシュアリティ)としての人生に焦点が当てられており、他の存命のメンバー三人のプライベートな部分はほとんど表現されていない。
ファンに知られている史実とは異なる描写もあるようで、例えばマーキュリーが最晩年の恋人ジム・ハットンと出会った時期と、HIV(エイズウイルス)感染発覚の時期を前後させているらしい。
まあ、私、クイーンのファンでもなんでもなかったんで、全部クイーンファンの同居人に聞いたりググったりしたことなんですけどね。

短歌の歌集を何冊か読んだことのある人なら分かるだろう(はい、ここから短歌の話です)。事実をすべて正確に記述して行くことと、表現することが一致するとは限らない。
短歌の先生が歌集を出されたときに話してくださったのだが、作品の配列は必ずしも発表順ではないという。時系列を考えながら連作などの順番を構成して一人の主人公の物語を作るという、そんな趣旨のお話だった。つまり、その人は自分をモデルにした<私>を主人公に、一冊の歌集を表現しきったのだろう、と理解した。
すべてを記録して表現するということは不可能で、どの事実を採用して時系列を組むかということも、表現の技法なのである。

一方で、『ボヘミアン・ラプソディ』については、BuzzFeed の Pier Dominguez が、マーキュリーのマイノリティ性の表現が不十分かつ不適切であることを指摘している。
私も、マーキュリーの元婚約者メアリー・オースティンとの関係がロマンチックに描かれすぎていることが気になった。オースティンはマーキュリーのアンドロジナスとしての魅力を開眼させ、ゲイとしての自認まで導いた上で身を引いて(史実とは違うらしい)、別れた後も良き友人として彼を見守り、ドラッグや見境のないセックスに溺れる彼を救おうとする人物として表現されている。つまり「ゲイに献身的に尽くしてくれる女性の友人」というイデアであり、ノンケ女としてはちょっとムズムズするのである。もちろんこれによって、ゲイに対する偏見が増長される恐れはある。
表現しようとするとき、事実を羅列するだけなんてことはできない。どの事実を採用し、時系列をどう組むか。そして、何を表現したか何を表現しなかったかで他者から批判を受けることは当然起こりうる。それは短歌であっても、結社誌に載せた一首の歌であっても同じことだろう。うん、無理やり短歌の話で落ち着けたぞ。

とはいえ、この映画は音楽が素晴らしく、ミュージカル映画としては最高だと思う。史実と異なると承知しながらも隣で見ていたクイーンファンである同居人は感動して泣いていたし、私のようなニワカでも楽しめた。子どもたちと観る人は、映画の後に1980年代のゲイの人々が置かれていた困難について話してあげてほしい。

(水甕 重吉知美)

寿司
可愛い絵葉書を頂きました。
「糖花〈こんふぇいと〉」第三巻(第六回文学フリマ大阪2018.9.9)の際に、作られたようです。
3枚組で、並べると一枚の大きな寿司の絵が出来上がります。
カラフルですが優しい色合いで、100人くらいで仲良く食べられそう。
1枚に2~3首ずつ、7首(7名)の短歌が並び、連作のようにも読めます。

  いろどりをひとつふたつと掬ひとる さう柿の葉のハンモックから  

「緑」東風めかり

冒頭歌(?)です。
大きく枝をひろげる柿の木が、ハンモックのように見えたのでしょうか。葉は鮮やかに彩られ、その彩りの溢れるように、一つ二つと落ちてくる。
一枚二枚と落ちてくる葉を掬うのではなく、一枚の葉の中にも何色かあり、葉と葉との隙間にも溢れるその彩りを作者は掬いとる。平仮名の曲線が、彩りの落ちてくるさまを表すようにも思われます。色鮮やかに、しみじみと、秋ですね~。。


  カナッペのイクラが少しこぼれそう「こぼれそうね」と君が笑って

「橙」雨虎俊寛

甘酸っぱい!胸がきゅんとする!こんな感じを久しぶりに思い出させていただきました。
イクラは、「こぼれそうね」と君が笑ったから、「少し」こぼれそう、なのですね。作者さんには、そもそもイクラなんて見えてないかもしれません。もしも「産まれそうね」だったらば、たくさんの鮭の赤ちゃんが産まれて二人の周りをツーイツーイと泳ぎだしそうです。
こぼれそうなのも、イクラばかりではなく、、なんでしょう。なにか甘く切ない、形の無いものが思われます。
いい気分で味わいながら読ませていただきました。

(水甕岡崎支社 木村美和)






  


              



                



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 9月8日、定例歌会のあと恒例となった勉強会を行った。今回は小佐野彈歌集『メタリック』。昨年「無垢な日本で」により短歌研究新人賞を受賞し、作者がオープンリーゲイであることが歌壇でも話題になった。
   この歌集を読むとき、どうしても「ゲイ」であるということを文脈に置いてしまう。作品の中には、はっきりそうであるとわかるものとそうでないものがあるが、具体的には述べず読者に想像させるように作られている作品の方が多く、一首一首を単独で味わうというよりは、連作ならではのストーリー性が読者を惹きつける。旧かなで、比喩などの修辞が巧みであることも特徴である。

     家々を追はれ抱きあふ赤鬼と青鬼だつたわれらふたりは

 巻頭のこの一首は、この歌集の象徴的な歌であろう。社会や家庭から疎外された(ゲイである)自分たちは鬼のような存在。古来から物語の中で鬼は悪の象徴で退治される存在。自らをその鬼であるとし、反乱を起こしたい、でも報われない、どこかあきらめにも似たひりひりとした罪悪感がこの歌集からは感じられる。

  スジャータのミルクしたたる午(ひる)を生き僕らはやがて樹下のねむりへ
 
 お釈迦様は6年の苦行の後、スジャータという娘より供養された乳粥によって弱り切った身体を回復させ、その後菩提樹の下で悟りを開いたという逸話がベースになっているのだが、自らの苦しみを重ねて詠われているようで、詩情あふれる柔らかな作品である。

  なにもかも打ち明けられてしんしんと母の瞳は雨を数へる
  水無月の雲となりたる父だからカミングアウトできる気がする


 
1首目は母親に何もかも打ち明けた時の歌、そして2首目は分かり合えなかった父親には雲となったゆえにカミングアウトできるという、両親への切ない思いを詠った一連の中の作品である。

 最後に会員の生の声を!
Hitomi 「 自分たちには宗教の救いもなくて、ソドムに代表されるような神の怒りに触れるのみ。激しい愛。溺れるようで、罪の意識から自由になれず、どこか客観的に自分を見ている。打ちのめされます。」
Mine「誰しもいろんな思いを抱えて生きているとはいえ、切実感が半端なかった。」
Sioko「罪の意識から自由になれないまま、もがいているのでしょうか?苦しすぎます。」
Hitomi「制約があるほど、愛は純粋になるように思います。定型の中で詠もうとする人だから、罪の意識も強いのかも。」
Mine「つくづく短歌って不思議な力もってると思うなぁ」
Naomi「これ、もし小説だったら違うよね。」
Hitomi「たいていの小説は、読者に細部まで説明してくれるしプロットで運んでくれるから、読者は受け身でいられる。」
Sioko「確かに、短歌は能動的に読まないと読みきれない場合が多いですね。定型という制約があるため結果的にそうなるということでしょうが、それが短歌の魅力でもあるのかな?」
Mine「小説にできないことができるね、短歌、やるじゃん!」
        
(水甕芦屋支社 加藤直美)




 


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