水媒花

みんなで綴る短歌ブログ。

このブログで、共に短歌を学び、短歌で遊べたら幸せです。
宜しくお願いします。

《このブログでやりたいこと》
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②学びの共有 ~研究発表、短歌イベント参加レポート、読んだ歌集の感想など~
③交流    ~告知やちょっとした日常風景、作品など~
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一首鑑賞

脱がしかた不明な服を着るなってよく言われるよ 私はパズル
古賀たかえ(穂村弘『ぼくの短歌ノート』講談社、2015年)

 友人が「短歌をやってみたい」と言い出した時、入門書を数冊買って目を通してから貸した。その中でも『ぼくの短歌ノート』は良書だった。
 私は穂村弘の熱心なファンではないし、彼のエッセイも殆ど読まない。だが、この本で発揮される彼の知識量や作品解釈は素晴らしい。明治以降の有名無名の歌人たちの歌をたくさん引いて、それぞれに短くも丁寧な解説を添える。
 この本の帯には、掲出歌が堂々と載せられていた。「え?!短歌ってこういう感じで書いちゃっていいの?」と思わせる、日常的な語り口と日常的な場面。だけど、きちんと定型を守っているし、よく読むと一字分の空白と結句<私はパズル>には、男たちの傲りに釘を刺す彼女の自尊心が表現されている。この歌は、短歌を知らない人を短歌へと導く短歌だ。本を偶然手に取った人が帯の歌で短歌にハマる、ということも多かっただろう。今年6月に文庫版が出たが、残念ながら帯にはこの歌は載らなくなったそうだ。
 友人は寡作で結社誌への投稿も途切れがちだが、のんびりと短歌を詠んでいる。
 
(水甕 重吉知美) 

蓮の茎するりとのびてその先の筆のようなる蕾のあおし
藤田千鶴(『ととと』No.9, 2018.6.24) 


 水面から<するりと>伸びた茎を上方へと見ていくと、まだ花の開かないつぼみがあった。それだけの歌だが、こちらの視線を導かれたように感じられて、面白い構成だ。
 また、<ようなる><あおし>という文語がハスという植物の佇まいに合っており、効果的である。
 掲出歌は、三人の歌人によるネットプリントから。

(水甕 重吉知美) 


先の記事、
「プロフェッショナルの自覚」(重吉知美)

http://livedoor.blogcms.jp/blog/kimuramiwa-suibaika/article/edit?id=10182441
を、興味深く読み、少し書かせて頂きたいと思いました。

  異性への入浴介助恥ずかしい笑顔を見ると気にならない
                        VU THI THU TRUNG [
ブティテゥチャン]NHK介護百人一首2018


引用歌は、介護する側の視点で、また介護を学ぶ(疑わぬ)姿勢で詠まれた歌のようです。記事では、気持ちの変化の一瞬を、「プロフェッショナルになった瞬間」 と表現されています。
ここで書かせて頂きたいのは、本物のプロフェッショナルであれば「恥ずかしい」と感じた心も大切にしているのではないか、ということです。

人から身体介護、特に体の大切な部分を触られる入浴や排せつの介助を受けるとき、そこには、さまざまな葛藤が生じ得ます。 

交通事故で四肢麻痺となったAさん(女性)は、中学生の頃に施設で若い男性職員から生理の始末をされたことが、障害を負って一番辛かったことだと言われます。
ほぼ寝たきりで、いつもぬいぐるみのプーさんや天井に映る神様と話しているBさん(女性)は、「女性」から、陰部洗浄の介助を受けて、「犯された」と泣かれました。
Cさん(男性)は、導尿を介助されながら「末期癌のくせに性欲が無くならない。私はおかしいのではないか。」と、言われます。


中には異性介助を望まれる方も見えますが、
引用歌の作者は「恥ずかしい」と思った。それは自然の心のありようで、その気持ちは、介護を受ける人の気持ちを思いやることにもつながるのではないでしょうか。
歌に清々しさを覚える一方で、どの職にもあるであろう、「気にならなくなること」 が、プロフェッショナルの死角を孕むことについても考えさせられました。

                                (水甕岡崎支社 木村美和)



                           









異性への入浴介助恥ずかしい笑顔を見ると気にならない
VU THI THU TRUNG [ブティテゥチャン]『NHK介護百人一首2018』
 
 作者はベトナムから留学し、介護職を目指していた女性。
 私は介護の現場は知らないが、病院で男性の医師や看護師、検査技師に肌を見せることはある。そこで照れたりしないのがプロであり、こちらも彼らのプロフェッショナル意識を信頼して体を預けている。
 この作者には、当初はそうしたプロとしての自覚がまだなかった。介護の勉強を始めたばかりだったのかもしれない。彼女の「照れ」を変えたのが、利用者たちの<笑顔>だ。入浴介助を受けて満足そうに微笑む彼らを見て、この仕事が重要であり、恥ずかしがる必要などないと確信したのだろう。
 つまり、この歌は内面の変化の一瞬を表現しており、読者は彼女が介護職のプロフェッショナルになった瞬間に立ち会ったのである。

(水甕社 重吉知美)

スーパーにブルーと呼び名重なれば昨日と違う特別の月
河合初子『水甕香川』No.79(2018年4月)


 先月5月30・31日は、短歌結社・水甕の全国大会だった。
 結社の大会は、ちょっとしたオフ会である。自己紹介をしあってみたら「結社誌で見かけるあの歌の人だ!」と判明して感動するし、逆に自分が「あなただったんですね!」と言われてなぜか(やばい‥)とキョドッたりする。二回目以降の参加になると、一年に一回の開催だから「久しぶり」「お元気でしたか?」と同窓会気分にもなってくる。世代を越えた同窓会だ。
 そして、全国にある支社の人たちからそれぞれの支社誌(歌誌)をいただくこともある。
 掲出歌は、水甕香川支社の歌誌より。今年2018年1月31日のスーパーブルーブラッドムーンのことだろうか。「ブラッドムーン(皆既月食)」の部分は抑えて入れ込まなかったのか。作者はあえて〈呼び名重なれば〉〈特別の月〉と素直に詠んだ。この一回性の現象を一回性のものとして詠みあげたのだろう。

男女差別無くならぬまま男女差は無くなってゆきスーパームーン
小林真由美『五月風』38号(2018年5月1日発行)


 芦屋水甕短歌会の歌誌より。四句目までは作者の主張と言ってもよい。結句により、あの膨張した巨大な月が不気味に迫ってくるように感じられる。それは私たちに有形無形の様々な手段で迫ってくる「男らしさ/女らしさ」とか「正しいあり方」といった道徳規範のようでもある。

(水甕 重吉知美)

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