水媒花

みんなで綴る短歌ブログ。

このブログで、共に短歌を学び、短歌で遊べたら幸せです。
宜しくお願いします。

《このブログでやりたいこと》
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水甕叢書

 木ノ下葉子『陸離たる空』を読む会が、12月9日、東京四ツ谷のプラザエフにて行われました。パネラーは、加藤英彦氏(Es)、田口綾子氏(まひる野)、清水正人氏(水甕)で、出席者は約50名。パネラー各氏の誠実で丁寧な姿勢が会全体の雰囲気を作り、読む会から懇親会まで終始和やかな雰囲気で、多角的に読みを深めることができました。
パネラー各氏のご発言を、簡単に記します。
※簡単な抜粋メモです。お気づきの点等ございましたらお手数ですがお知らせください。

加藤英彦氏
【Ⅰ】内面の言語化
 作者(木ノ下葉子)は、同年代(若手)のどれとも交わらない感性を持つ。全身から湧くエネルギーの質が違う。それは、ものすごく大きな欠落を埋めようとする切実さの内圧とも言える。
  
  父は茂、妹は梢、風はいつも固有名詞の彼方から吹く
→象徴的な歌であり、〈風〉には近しいものを感じる。

  言へなかつたことばは川を下りゆき汽水となりて頬を伝へり
→内面の重量を支えきれなかった。

  昇っても見下ろすことを赦されぬ坂を何処まで昇れば良いか
→内面への問い。坂は、実際の坂とも「生」とも読める。「生」の行き着く先は死。

【Ⅱ】死と再生の円環

  生まれたら一度死ぬだけ真つ直ぐに歩いて渉る遠浅の海
→「真っ直ぐ」は、他の歌にも見られる。真っ直ぐ行くことが作者の基準。とても純粋なひたむきさ。

  金魚掬ひのごとくささつと健康な自己を掬つて育てなければ
  リスペリドン、クエチアピンにビペリデン、我を生かしてくれよ初雪
  入口はこの白きドアのみなればいつの日か此処を出口となさむ

→生きようとする歌。それに対し、

  死ねばもう眠くないんだシャッターは引き上ぐる時意外と軽い
  我といふ生をあなたに返すからあなたが笑つて笑つて捨てて

→死の方へ振れている。生(まっとうに生きようとするひたむきさ)の反動。これが詠う必然性へ直結している。必然性の強度が同年代の中でも突出している。

【Ⅲ】父・家族

  手の小さき妹が花嫁になるわが妹がもみぢの下で
  熟睡(うまい)する母を初めて見し夜明け漕ぎ出ださむと乗りし方舟
  片耳より眠りに落ちていく父の最後の音になりたかりけり

→家族というより、父と私、母と私、妹と私、という風に詠まれている。
父が、互いに最も良き理解者であり、没入、自己投入しているのに対し、母との関係には距離が見られる。

【Ⅳ】感性への振幅

  よしずよしずと売る声のする雲間かな目を閉ぢてゐる方が眩しい
→目を閉じる(現実に消えている)ほど記憶に鮮明に残る

~つづく。次回は田口綾子氏です。

(水甕岡崎支社 木村美和)





  

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   私ごとで恐縮ですが、この度歌集を刊行いたしました。
よろしかったらお読みください。

   花散らす雨の重たさ   卵管を静かに下る卵の老いゆく
   香りつつひと夜に散りし木犀の金の環めぐらせ人を拒みぬ

(水甕芦屋支社  加藤直美)

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「③空を見上げる」でも触れたが、作者は、見るもの聞くものを、まるで生まれて初めて体験する刺激のように受け止める。既成の概念を疑い、自身の感覚で捉え直し、言葉を与える。今ある世界は少しずつ破壊され、新しい世界が築かれてゆく。


  まれまれに綿の詰まりて生まれくる体のあるを長らく信ず (p126)

 1首で読むと、幼びた可愛らしい無知、あるいは天然少女のようでもあり、おそらくそのような部分もこの歌の一面なのであろう。(参照:重吉知美「④ブラックユーモア」http://livedoor.blogcms.jp/blog/kimuramiwa-suibaika/article/edit?id=12277050)
 しかしこの歌を、連作「闇の温度」(pp124-127)の中に読むとまた異なる様相を帯びてくる。作者は、息も詰まるような寂しさに居る。布団に足を入れれば〈闇の温度〉に触れてしまい、〈影引くことも許されなくて〉、〈動かなくなるまで蟻を泳がせ〉る。作者は〈綿の詰まりて生まれくる体〉に、自身を重ね合わせたのかもしれない。痛みを確認し、自分の中に赤い血が流れることを確認せずにはいられなくなったのかもしれない。

  我が母の腹の膨らみ日ごと増し孕み直されゐたるわたくし (p96)
  熟寝(うまい)する母を初めて見し夜明け漕ぎ出さむと乗りし方舟 (p194)
  酔ひたれば角にぶつけるこの胸の膨らみにまだ慣れ切ってない  (p132) 

  

生まれる以前、母の胎内に生を受けるところから、作者は「感じる」ことをやり直し、自身の言葉をもって生まれ直す。出生は大変な衝撃で、そのときに受ける無意識の傷、こころの傷がのこるという。(吉本隆明『詩人・評論家・作家のための言語論』pp27-29)そのような痛みを伴いながら、あえて生まれ直し、生き直す。そうすることでようやく、作者は生きている実感を得ているのかもしれない。

(あとがきより)
「私は我が身を爛れさせる痛みを、代わりの痛みとして、自分を切り裂かなければ生きてこられませんでした。(中略)私にとって短歌は、「苦しみ方を変える変圧器」のようなものです」

 

(水甕岡崎支社 木村美和)



曾祖父はづんつあンと呼ばれづんつあンは柘榴の花が好きなのでした (pp.209)
  • 曾祖父は「づんつあン」と呼ばれていた。
  • 曾祖父は柘榴の花が好きだった。
 この二つの情報を組み合わせただけで、妙に愛唱性のある歌ができたことに驚かされる。
 <づんつあン>は、共通語で言えば「じゅんちゃん」であろう。だが、「曾祖父はじゅんちゃんと呼ばれじゅんちゃんは柘榴の花が好きなのでした」ではイマイチである。やはり、地域性を思わせる<づんつあン>という言い方であるからいいのである。

雪は黙つて降るべ雨は黙らねべ しんしん痛む祖母の右足 (pp.211)

 雪の降り方と雨のそれとの違いを、足をさすりながら話しているのだろうか。初句と二句は句またがりであり、決して読みやすい定型ではないのに、覚えやすくて口ずさみやすい。方言で話すおばあさまの言葉が、作者に、そして作者を通して私たちに沁み入り、<しんしん>というオノマトペが一首全体のトーンを決定する。

 木村美和の書いた前回の記事にもあるように、木ノ下さんは母方を通して東北にルーツを持ち、静岡県内で育った。<づんつあン>とか<雪は黙つて降るべ雨は黙らねべ>という言葉は、東北のアクセントなのだろうか。あるいは静岡でもこのように話すのかもしれない。それらはどのような息吹によって告げられたのだろう。

(水甕 重吉知美)

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   ワンセグが切れ切れに映す気仙沼の火に泣きしとふ東北の祖母

  あの日々を皮膚のごとくに着続けしジャンパーに地震(なゐ)のにほひ残ると

雪は黙つて降るべ雨は黙らねべ しんしん痛む祖母の右足

 

作者は、山形県に生まれ、静岡県清水区の三保に育った。本歌集中、東北について詠われたものは多くないが、その印象は強く、歌集全体に深い陰影を与えている。

土地の名は枕詞であると言うが、「東北」という土地の持つ一つの詩情もあるだろう。震災のこともあるだろう。そして祖母の持つ繊細で深い感性と、土地の持つ生命力の強さが、作者へとたしかに引き継がれていることを、本歌集を読んで確認する。

 

 みちのくより嫁ぎて来たる二十九の母か 道辺の蜜柑を拾ふ

  二十九の母の黒髪浜風にまだ慣れざれば吹かれやすきよ 

  

 二十九という母の年齢を越えた作者である。母が蜜柑を拾う姿や、浜風に吹かれる姿は、実際には見ていないはずであるが、写真やビデオなどの記録だろうか。蜜柑の色鮮やかさや、浜風に煽られる長い黒髪の生々しさは、歌人としての霊感が作者に見せた心象風景のようにも思われる。

(水甕岡崎支社 木村美和)


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