先人達が残しておいてくれた、春のイメージに合わせて(この場合は中国の唐時代の詩人である孟浩然さんの作品「春暁」のイメージ)日向、猫、あんぱん、などの喧嘩しないような言葉で組み立ててゆく。ましゅまるるの造語はコーディネートで言えばスカーフの部分だ。
こんな感じで短歌を作る行為は、洋服のコーディネートを考える事と似ていて楽しい。たいてい何処かの一句の部分で納得がいかなかったり辻褄が合わなかったりしてくるのだが、そこをどのアイテムでどの様に合わせていくかが作者のセンス、遊び心、人生経験、知識などが出てくる気がしている。
洋服のコーデネートとして使わないアイテムを使っていたり、洋服ではなく髪形が素敵だったり、ほんの少しの柔軟剤の香りがお洒落の一部だったりもする。
ただ私は、洋服が好きだからこう思っているのであり、短歌はその人が好きな短歌、以外の事柄に引き寄せて作歌ができるのではないかと思う。
皆さんは短歌のほかに何が好きで、どんな事をイメージしながら短歌をつくっているのだろうか?そのように好きな物事に引き寄せて短歌を鑑賞している時に、短歌の裏側から作者の好きなものの香りがしてくる。
音楽であったり、恋人であったり、歴史であったり、批判精神であったり、自然であったり、椅子であったり、仕事であったり、作者自身であったり……。その香りが鼻先をかすめた時、思わずニヤついてしまうので変人と思われる。
ただ私は変人と思われてもいいので沢山の短歌を読んでニヤついていたいし、季節に合った言葉のコーディネートの数々を短歌で感じていきたい。
私の作った短歌では説明力に欠けるので、とっても素敵な言葉のコーディネートで、短歌を作る方の短歌を引用させて頂く。
丸善の文庫売り場のひるさがりニーチェを選ぶひとの顔みる 荻原裕幸
(注意書き)
* 猫にはパンをあまりあげてはいけません
* 短歌をつくっていても変ではない人も沢山います
* いちご大福柄のスカーフはお洒落なのでしょうか
* 着飾る事に集中していると人間の内面が疎かになります
(寄稿:水甕名古屋支社 鶴田よめ)