歴史、風土、人々の営みが、作者の生活に即して活き活きと描かれており、どこか懐かしく、あるいは民俗学の資料でも読むかのよう、興味深く読んだ。 
中でも、「春をよぶ魚」「しらはな色」からは、自然や生活が匂い立ち、ここに本歌集の大切な要素が凝縮されていると感じた。

  門口に浅蜊の殻のばら撒かれぱきぱき踏まねば入りてはゆけぬ
  目出し帽の裸の眼ほそめつつ生海苔たぷんと掬ひてくれる
  貝塚をくづして造りし太き道 市民病院がほら見えてきた  

自らの生を、古代から続く永い営みの中の一点と捉え、生と死との「境界」、言い換えれば一つの生とまた別の一つの生との「境界」を見つめる深い眼差しを感じる。

「空と海」「天と地」「空と陸」「あっち(浄土)とこっち」「あの世この世」、、、さまざまな境界が詠われる。

  牛蛙べるじゆらつくと鳴く闇を逆さになりて橋より覗く

私たちが何気なく光を当てている世界と、牛蛙が私たちには分からない営みを紡ぐ(私たちからすれば闇の)世界とを、〈橋〉を境に見つめる視点が面白い。〈べるじゆらつく〉のオノマトペが巧みだ。

  (しで)の白なんぢやもんぢやと揺れゆれて噂のひとつ消えてしまへり

夢現の境界を思わせる不思議な手触りが感じられる。
土着の力強さと素朴な明るさは、本歌集を通して作者の生を支えている。

歌集には、作者の身辺を題材にしながら、作者のみの生ではなく、泡沫の夢のように生まれては消えてゆく一粒一粒の生の輝きが描かれている。その「身辺」の最たるものである、家族を描く歌では、情を抑えた確かな文体が、静かな慈しみを伝える。

  母の肌知らぬ小象の肌にふれ男は男のことばに諭す

  テニアンに父は参りき平成の世を生き残り生きてゐしころ

  すぐに来る死ぞすぐに来る雨よりも不確かなれば(はは)に靴買ふ

そして巻末歌で、作者は、様相の変わりゆく自然を思いつつ、遥かなる世に思いを馳ている。

  春のシャツ風にハタハタ膨らみぬ吾の背びれよ海へみちびけ

                                (木村美和)