水媒花

みんなで綴る短歌ブログ。

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2019年01月

 ブログメンバーの加藤直美さんが昨秋、第一歌集を出された。水甕賞受賞経験があり、作歌力は十分で、待望の歌集だ。
 既に本人からの紹介、ご寄稿による歌集評もある。

金の環 歌集出版のお知らせ
成人の日 歌集からの作品紹介
『金の環』 の歌評をいただきました! 枝豆みどりさんご寄稿


 私からは、まずは震災について詠んだ歌を紹介したい。

新学期の子の教科書に一行の史実となりて〈震災〉がある pp.77

 1995年の阪神・淡路大震災か、2011年の東日本大震災か。教科書に(おそらく社会科か日本史のそれに)表記されているのだろうか。教科書に載るということは、死傷者が多かったということ、損害が大きかったということ、その後の社会への影響が深刻だったということだ。だが、それらの詳細は省略され、<一行>にまとめられる。他の史実と同様、重要なことだが簡潔な表現で示されるのだろう。

ライラックの便りとともに地震なゐふりし地より答案戻り始める pp.89

貌見るなきボーロのやうなひらがなが囁く「じしんはこわかったです」 pp.90

 職業詠の連作より二首。通信教育の添削の仕事のようだ。ライラックが咲くのは4月以降だというから、2011年東日本大震災の被災児たちと思われる。お互いの顔を知ることのない、文字だけでやり取りする関係。<ボーロのやうなひらがな>を書く子は、作者の馴染みの(ただし対面する機会のない)児童かもしれない。丸っこい文字か、またはタマゴボーロのようにふわふわした文字か。すべてひらがなで書くぐらいだから小学校低学年だろうか。「じしんはこわかったです」と自分の恐怖を頑張って言語化した健気さに胸が痛む。

潮の香が川上がり来る雨の前ここにも津波が来るといふこと pp.132

 加藤さんは確実に「あった」事実として震災を詠む。ある災害に関して、そこで被災しなかった者の多くは記録を読み、話を聞くことで震災を追体験していく。本歌集の「震災詠」を読んで、私個人の震災追体験はどうあるべきだろうかと考えた。

(水甕 重吉知美)


水甕、木村美和さんからご紹介いただいた歌集『金の環』を手に取りました。作歌歴17年、水甕芦屋支社加藤直美さんの第1歌集です。黒地に金の装丁が宇宙を思わせる、とても美しい本です。

 

「花冷えの夜」

 遠からず来るメノポーズ霧深き異国の街の名前のやうな 

メノポーズという言葉を知らなかった私ですが、調べるまでもなくそれと伝えうる歌。霧深い異国の街、そこに居場所を見つけたとき人はどんな表情をするのでしょう。それまでには無い、新しい笑顔を会得しているかもしれません。

 

「零るる水」

筆跡に人を想へば骨格をたどりし指はほのかに湿る

誰にでも筆跡はあって、それは人となりを表します。文字を見てその人を想う。とても美しく始まり、馳せる気持ちは次第に愛しさに変わります。日常に潜む静かな官能に惹かれました。 文字から誰かに思いを馳せる歌はほかにも何首かあって、その時時の大切な人が見え隠れします。

 

金のリング」

 二分後に君も観るだらう日食の金のリングにとほす薬指

これがひとつめの金の環。2012年の皆既日食を歌っています。かなりの距離を置いているふたりの愛情は、淋しげだけど、きっと通じているはず。

 

「青はまぼろし」

 若さとは透き通ること後輩の髪かけてゐる耳朶きれい

透明感のある若い女性の耳からうなじのラインが浮かびます。澄んだ声も聞こえてきそう。若さが透き通ることなら、年を重ねるとどう変化していくのでしょう。その先はどんな歌が生まれますか。

 

「月蝕」

 夏祭りの金魚根方に埋めるたび瘤を増やして咲く百日紅 

夜店の金魚は大方死んでしまって、それを埋めた記憶は、もしかしたら誰にでもあるのかもしれません。百日紅の瘤が増えるのは決して金魚のせいではないのに、あたかもその命を宿して増えていくかのような不思議な歌。夏祭り。夜。金魚。死。埋。と奇妙な怖さを連想する上句と「さくさるすべり」という結句。軽い印象の音で終わってそれらが宙に舞うようです。 (ちなみにその百日紅の瘤だけを切って水に浸けておくと根を張り芽を出して大きく育ちますよ。)

 

「底の二粒」

 犬は犬を子供は子供を目で追ひぬ夕暮れの道擦れ違ふとき 

ああそうだな、と腑に落ちる光景。目で追って、ほんの少し目で会話して擦れ違うだけ。そんな一瞬を、成長しても覚えていたりしませんか。優しく確かに通じあった一瞬の記憶。

 

「月の砂漠」

 一斉に梅桃桜咲くやうな祖母の笑顔は人を忘れて 

 梅桃桜咲くような笑顔。この言葉をきっと忘れないと思います。特定の人だけの無垢な笑顔はとても貴いです。

 

「小さきフレーム」

 摘(つま)めないゆゑに床へと押し付ける髪一本に指の苛苛 

穏やかな歌の狭間にこんな歌もあってホッとします。

いらいらしてもいいんですか?

いいんです。

いいんですね、と。

 

「秋のきくらげ」

 聞き耳を立てて聞かざるふりをせり水に拡がる秋のきくらげ 

きくらげは漢字で書くなら木耳。耳に似ています。水に浸ければどんどん拡がる黒い耳で聞き耳を立てる。それと知られないように黒く大きな耳を…、という奥底に潜むざらりとした気持ち。台所って少し怖いですね。

 

林檎の時間」

 麻痺の手は林檎一つの重さほど幾年ぶりかに触れる父の手 

深く眠った赤ん坊はなぜかしらその重さが増したことを思い出します。自由を失った手、大人の男性の手を林檎に例えて歌う介護。深刻になりすぎず、ありのままに歌われた介護はやはり貴い世界です。

 完熟を過ぎれば蜜から腐りゆく林檎の時間に刃をあてる 

林檎に例えられる介護の日々。何度も読み返しました。紛れもない真実がここにはあります。他には明るく滑稽な歌もあって、そこで少し笑って、そしてまたやりきれない感情に支配されていくのです。

 

「金の環」

 香りつつひと夜に散りし木犀の金の環めぐらせ人を拒みぬ 

地面に散った金木犀の小さな花々の美しさ。ある日一斉に散って地面をまるく彩り下からも香りを放ちます。可愛らしい橙色に染まった場所に足を踏み入れるのは躊躇われ、それは確かに金木犀が張った結界なのかもしれません。 これがもうひとつの金の環です。

 

加藤さん自身の職業詠もあって、それらは個人的にとても興味深いものでした。面白いです。この歌集をこれから読む方たちのために敢えて言及するのをやめておきます。 私はこのまま不器用に年を重ねてもいいのかな、という思いにとらわれつつ日々を過ごしています。そんなときにこの歌集に出逢いました。ささやかに働きつつ、子離れを乗り越え、親を病院へ車で送り迎えし、少し疲れて横になって、夕飯は手抜きをしたりして。それでいいのよ、と言われた気がしました。愛すべきたくさんの人が生活の隙間に垣間見えればそれで生きていける、そう思わせてくれる静かな歌集でした。穏やかな余韻にまだしばらく浸っていられそうです。 

(寄稿:枝豆みどり)


飛び立てる時を待ちたる蝶のごと立て矢結びの振袖の背な 

成人の乙女を縛る紐あまた 大人になれば自由でせうか

記念日を美白モードで撮るといふ新成人はプリクラ世代

振袖を矩形に畳む母の手の動きを思ふ成人の日に

六甲山に成人の日の雪が降る「木の気」も持ちたる東の方位 

           加藤直美『金の環』より

1月14日は平成最後の成人の日。成人式というのは本人より親の方が感慨深いのかもしれない。
掲出歌は5年前の娘の成人式の時に作ったものだ。二十数年前私が成人式の時に着た振袖を娘に着せた。本人は今風のもっとかわいらしいものを着たかったようだが・・・(水甕芦屋支社 加藤直美)

このエッセイは、主に水甕社の会員に向けて書いています。

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 新しい加害者を出すな⑤私性とゲスい質問という記事がそこそこ読まれているようで、いい加減なことを書いてはいけないな、と身が引き締まる。読者の存在はとても嬉しい。問題なのは、読んでほしい水甕の会員にこのブログがさっぱり知られていないことである。
 それでもやはり今回も水甕の人宛てに、この記事の補足をもう少し試みてみたい。

 前回の記事を書いた時、私はなんとなく河野裕子(かわの・ゆうこ)さん(1946-2010)と永田和宏さん(1947-)を想起していた。私は彼らの熱心なワナビーではなかったが、知らない人のためにも説明を試みてみよう。彼らは二人とも歌人という夫婦で、しかも日本の専門歌壇では有名なビックカップルだった。さらに興味深いことに、彼らの子どもたち二人も短歌制作を続けており、総合誌などで活躍する有名歌人である。つまり、彼らの家は、親子二代に渡って若い頃から歌人としての業績を積んできた家族だった。
 ところが、河野さんはガンにかかってしまう。彼女は私生活を作品に投影することを重視する人だったようで、ガン罹病をオープンにした上で作歌を続けていた。そして2010年に亡くなった。
 同じ年に有名な歌人が実は何人か亡くなったのだが、河野裕子さんの死はなんというか違っていた。この年の水甕社の結社誌には、彼女への追悼歌がたくさん掲載されたのを記憶している。もちろん、私も含めて水甕の人たちには、河野さんご本人との面識などまったくない(はず)。河野さんカップルと子どもたちは「塔」という他の短歌結社の所属で、水甕とは無関係なのだから。それにもかかわらず、水甕の人たちは彼女の死を悼み、追悼歌を詠んだ。おそらく他の結社でも似たような現象があったと思う。特に、彼女と同世代の当時60代だった女性たちからのシンパシーはかなりのものだった。

 さて、問題はここからだ。水甕社の会員で、当時をよく知る人にきいてみたい。もし、永田和宏さんやお子さんたちと偶然対面した時に、亡くなった河野さんのことをズケズケと聞いていいものだろうか。彼女の病気のことや最期のこと、今の心境を聞いていいだろうか。
 答えは「No」だ。なぜなら、永田さんたちはこちらのことを知らないからだ。彼らにとって私たちは「知らない人」だ。
 しかし、私たちはおそらく間違えてしまう。目の前にいる人は、憧れの、親愛なる、その作品を通してその私生活をすっかり知っている(つもりになってしまっている)短歌作品の作者たちだ。うっかりするとやっちまう。だからこそ「相手が自分を知っているかどうか」でよく踏みとどまらなければならない。

 ばっかじゃん、そんなことするわけないじゃん、という人も、同じ結社の無名歌人である会員にはやっちまってしまっていないか。
 私が離婚したこと、給料が安いことなどを歌に詠んだとしても、それを対面できいてくるんじゃない(多分、奇声をあげながら威嚇してくる)。誰かが親を亡くしたこと、育児に悩んでいることを詠んだとしても、それを対面できくもんじゃない。自分が相手を知っていても、相手が自分の歌を全部じっくり読んで知ってくれているとは限らないからである。


(水甕 重吉知美)

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