水媒花

みんなで綴る短歌ブログ。

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2018年10月

   10月25日、人生初の沖縄!きれいな海と基地の町、それが初日の印象だった。
   観光で訪れるキラキラした沖縄と、生活者としての沖縄は違うのだろう。

まだ読めぬ東恩納(ひがしおんな)といふ名前遭遇するたび夫をつつく       佐藤モニカ『夏の領域』

パインカッターぎゆうつと回す昼下がり驚くほどに空近くあり

痛みを分かち合ひたし合へず合へざれば錫色の月浮かぶ沖縄

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首里城の高台から見た風景

(水甕芦屋支社  加藤直美)

このエッセイは、主に水甕社の会員に向けて書いています。

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私はせっかちなので先に結論を書く。老若男女に関わらず、相手の身体にはなるべく触れない方がいい。

乳や性器や臀部に触れるなというのは当たり前だが、次のような行為もやめといた方がいい。
・肩を組む
・手を触る、握る
・背中を触る
・頭をポンポンと撫でる
・髪の毛を触る

ここまで「やめとけ」というのは、私たちが短歌だけで繋がっている他人同士だからだ。異性に多少触られても平気という人、同性同士なら平気という人、同性であっても他人に触れられるのが苦手という人、どんなに親しくて尊敬している相手でも触れられるのが苦手という人、いろいろな人たちが集っているはず。それなら苦手な人に基準を合わせるべきだ。

握手はどうなのだろう。日本には握手をするという習慣が根付いていないので、あんまり求めるべきではない、と、私は思っている。
例外を考えるなら、相手が女性で、その女性が握手を求めてきた時に限るのではないか(自分が男性でも女性でも)。
アイドルなどの握手会は、何がしかの対価を払うはずなので(サイン会の時に本を買うとか)、日本では金銭のかからない握手というのは希少なのかもしれない。

(水甕 重吉知美)

結社誌『水甕』11月号が届いた。小学生会員の「水しぶき」欄と中学生会員の「飛び魚」欄を読む。

なっとうはねばねばしててちょっとへんとてもおいしいうれしいな 丸山史華(10歳)

<ちょっとへん>なんだけど、<とてもおいしい>。うんうん、そういうことってあるよね。

夏休みワクワクしちゃうしょ日からママとペディキュアぬったんだよね 大川野花(7歳)

<しょ日>は「初日」。へー、今の小学生は親公認でペディキュア塗っちゃうのか。私は子無しなので、この欄から子どもたちの「今」が垣間見えるのも面白い。どんな色だったのだろう。

汗かいてよてよてしながら草むしりまるでどっかのゾンビみたいだ 木村日香理(10歳)

<よてよて>というオノマトペが面白い。「よちよち」としてしまうところを、考えてみたのだろうか。<どっかの>という砕けた口語がマッチしている。日香理さんは、このブログ管理人・木村美和さんのお嬢さん。

色白は七難かくすと言い祖母は真っ黒な顔なでようとした 高岡真大(中2)

お祖母さまは孫娘の日焼けを気にしているようだ。<なでようとした>とあるが、もしかしたら孫は祖母の手を拒絶したのかもしれない。顔のことを言われるのは、家族からでもあまり気持ちのいいものではない。そんな葛藤をさらりと詠むようになった彼女の成長に驚く。

パッと咲きちらちら落ちてゆく花火少し大人になったと思う 高岡真大


(水甕 重吉知美)

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それぞれが「わたしはシャルリー」と言へる日の遠きを思ふ霜柱踏む

   春日いづみ歌集『塩の行進』が刊行された。
掲出歌の「わたしはシャルリー」は、2015年フランスの新聞「シャルリー・エブド」で12人が死亡したテロ事件のあと、表現の自由を支持する人々によって掲げられたスローガンである。シャルリー社の記事はイスラム教徒に対してかなり差別的な内容であったが、それに賛同するスローガンではない。もちろん表現の自由とヘイト発言は別であるが、発言内容の如何にかかわらず表現の自由は守られるべきであり、今まさにサウジアラビア人記者がトルコのサウジ総領事館で死亡した事件の真相を、世界中が注目している。
 話が逸れてしまったが、春日いづみは長年映画作品のシナリオ採録の仕事に携わっていたこともあり、高い見識をもった社会派の歌人である。

  「ネット銀行レモン支店」にタッチする葉つぱのお金を送る心地に
  凍結の卵子精子は何色ぞ冷凍庫より取り出すイクラ
  エルサレムに求めし木の実のロザリオの渦巻きてをり抽斗の隅
  たはやすくガンジーの手に拾はれしひたに輝く塩を思へり


 独自の視線で社会を切り取り、声高に主張するのではなく、詩として表現された歌が魅力的である。  (水甕芦屋支社 加藤直美)




このエッセイは、主に水甕社の会員に向けて書いています。

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結社の内にも外にも、素晴らしい歌人はたくさんいる。もちろん、無所属の人たちも、専門歌人というほどでなくてもコツコツと作品を詠んでいる歌人たちだって。
そうした人たちを褒め称える際に、容姿には触れないほうがいい。だって、その人たちは素晴らしい歌人たちなのだ。見た目を褒める必要などないだろう。

歌人に限った話ではない。誰かを褒めるのに、人格や仕事ぶりなどを評価することはあるだろう。でも、見た目の話って必要ないよね?おたくの部下を評価するのに「君はピカピカの禿頭が素晴らしい」なんて言う必要あんの?

もうちょっと言うと、見た目の話は、陰口とか噂話としてならしてもいいと思う。だって、陰口って本人のいないところでするもんじゃん。
だけど、本人が見聞できちゃうところで、もっと悪いことには本人に向かって直接言っちゃうと、ハラスメント、場合によってはセクハラになるはずだ。(だからネットで書いちゃうのもダメ。)

美人歌人に対して「きれいですね」とか言っちゃうかもしれないけど、でも見た目の話をするようになると体の話になってしまいがちだ。特に、若くて健康な体を持った女性や男性を対象にすると。だから見た目の話は避けたほうがいいと思う。
こういう見た目の話は、セクシャルな放言につながる可能性がある。「おっぱい大きいですね」とか「いい体してますね」とか。こういうのはもうダメだ。「欲情しちゃいます」「エッチしたいです」は完全にアウトである。「あなたは素晴らしい人だ」と言うために、自分の性欲を表明する必要はない。

歌人を褒めたければ、作品や人格に言及する癖をつけたい。
「立ち居振る舞いが素敵で」とか「気配りの素晴らしい人」とか「話し方が上品だ」とか、見た目に触れなくても賞賛の表現はいくらでもある。

ちょっと結論を急いだ感じになったが、とにかく水甕社の諸姉諸兄は気をつけていただきたい。

(水甕社 重吉知美) 

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