塔所属の江戸雪さん主催の超結社の歌会が、月に一度大阪の中之島で行われている。2回程参加させてもらったのだが、どこの結社にも所属していない無所属の人も多く、年齢も歌歴もバラバラ、もちろん上下関係もないので皆対等に批評し合う形だ。
普通(私が思う普通)、結社の歌会では先生と呼ばれる指導者に、歌のいいところ悪いところを具体的に教えてもらえる。短歌のいい悪いは一概には言えないし、もちろん会員からはいろいろな意見が出るが、それを参考にしつつも基本的には指導者のいいと思う歌の基準が歌会のベースになるので、自分が信頼できる指導者の下で学ぶべきだろう。
中之島歌会にはその基準がないので、「この歌大好き!」という人も酷評する人も様々で、私自身も「えっ、そうなの?」「へぇーそうなんだ」「いや、納得いかない」と今まで培ってきた歌の基準は、いい意味で揺さぶられたし、刺激的だった。たくさんの意見が出ても最終的にその歌がいいのかどうか結論が出ないことも多いが、結論を出す必要は無いのかもしれない。自分と異なる考え方を排除はしないが、積極的に取り入れたり歩み寄ることもない。そんな風に感じた。
結社に縛られることなく好きな時に作り、このような歌会に参加もできるし、SNSやフリーペーパーなどで、作品を発表することも簡単に出来る時代だ。無所属の参加者のひとりは、結社に入る意味がわからないと言っていた。
短歌ムック『ねむらない樹』の中で、伊舎堂仁氏が結社について次のように述べているのが印象的だ。「(結社には)無理やりさせられるという良さもありますよね。献本されたから歌集を読むとか、歌集評を依頼されるとか。そこから豊かになっていくこともある。ネットでやっていると無理やりやらされることがないじゃないですか。ランダムなことがおこるのはむしろ結社なんだと最近は思います。」
短歌ムック『ねむらない樹』の中で、伊舎堂仁氏が結社について次のように述べているのが印象的だ。「(結社には)無理やりさせられるという良さもありますよね。献本されたから歌集を読むとか、歌集評を依頼されるとか。そこから豊かになっていくこともある。ネットでやっていると無理やりやらされることがないじゃないですか。ランダムなことがおこるのはむしろ結社なんだと最近は思います。」
所属の結社をはなれて外から客観的に見ることで、その良さも、そうでない点もあらためて見えてくる。中之島歌会に参加してこんなことを感じた。 (水甕芦屋 加藤直美)