水媒花

みんなで綴る短歌ブログ。

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2018年06月

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 第一歌集『
のゐどころ』(筑紫歌壇賞受賞)以来十年間の作品三一六首を収めた、作者の第二歌集である。

   右にあふぎ左にならび風のままかたじけなくも雪富士を連れ
 

雀子を止まらせたわむ擬宝珠の花茎ながし霧雨のなか

ほうたるのふたつみつつと火をともしみなづきの夜の水音を消す

自身を客観的に見つめ、自然に分け入る作者が浮かび上がる。草木や鳥や虫と同列にヒトが置かれる。目の前の生きの有り様を通じて、自然への畏怖や生命の尊さが伝わってくる。 言葉は柔らかくほどかれて、幻想的な景として感覚に響く。

   石垣にしまはれゆきしくちなはの全長見るなく折に思へり

音もなく積りしものに陽のさして屋根をせり出すそらおそろしさ


 不思議な感触。〈しまはれゆきしくちなはの〉と、時間は引き延ばされ、そこに、人の力の及ばぬ何モノかが蠢く。目に見えないが静かに存在する、音はないが着実に積もりゆく、そのような得も言われぬ不気味さをも、自然は内包する。

 

出かければ沙汰なきをとこ出出虫(ででむし)ののんのんのんと降る雨の中

連れだちて冬の星空あふぎしを思ふ日あるや あらずとも良し


ヒトを見つめる眼差しもまた温かい。出掛けるのは定年を過ぎた夫であり、連れているのは、ものを言わぬ十二歳の少年だということが、連作から分かる。共に過ごす「今」という時間が愛しまれる。

 

借りものの「海人全集」に気をとられクリアファイルに足をすべらす

三キロのトマトをソースに仕上げたり仇討ちしたる心地と言はむ

かつぱ橋に求めし白髪葱(しらがねぎ)カッター肝心なときつかふを忘る

なにもかもはふり散らしてフォークルのアーカイブスにすわる二時間

蚊を連れて入りこし人が蚊を置きて出でてゆきたり良夜深更

 

 このような活き活きとした作者像に親近感を覚え、歌集を繰り返し読みたくなる。


   ありさうなことだと頬のゆるびたり笑ひてすめばけふ どんと晴れ

 腹が立ったとき、悲しいとき、苦しいときに、この歌を唱えたい。前向きになれる魔法の呪文として。

                                (水甕岡崎支社 木村美和)
 関連記事 「旧仮名の良さ」(重吉知美)
http://livedoor.blogcms.jp/blog/kimuramiwa-suibaika/article/edit?id=8432169



水甕岡崎支社定例歌会を行います。

7月2日(月) 13:00~
愛知県岡崎市 竜美丘会館502号室 参加費200円

毎月第1月曜日に、1人2首ずつ持ち寄り、15名前後で歌会をしています。
結社内外、歌歴云々、問いません。
どなたでもお気軽にご参加ください。

お問い合わせ
:kimuramiwa11☆gmail.com(☆を@に変えてください)

  

  往生極楽院(天井の船底型に極彩色の天女・菩薩色褪せてある) 

 

         三千院の庭

 

        三千院   庭に散在する石仏

 

         詩仙堂庭に通じる道

 

              詩仙堂(詩仙の間)

京の散策は雨の六月もまたさくら、紅葉に次いで魅力である、。冬も格別と聞くが

 寒さが苦手なのでこれは実現出来てない。

 三千院へはもう何回来ただろう。修学旅行、歌の師との吟行、二人の友人と

 それぞれ、秋と春季節を分けて、、、そして今回が5回目だがそれぞれ思い出深い。

 今回は春日いづみ先生を御案内しての訪れである。

 生憎の雨だが、これがこれがわたしの望んでいた天気なのである。

  朝早い、苔むした三千院の庭は実にしっとりしていて心が落ち着く。

 昨日の合同歌会の講師をしてくださったいづみ先生もつかれを吹き飛ばされたことだろう。

 自称「雨あがり女」私の面目も保たれた。ご案内した方のよろこばれるお顔をみると

 心底うれしくなるのである。

  つづいての案内の地に迷う…近頃話題の岩倉の実相院、京都随一の借景圓通寺等々。

    上賀茂の社家も魅力だし、、。

 とりあえず国際会館で食事。今回は地元下鴨のTさんがついて下さっているので心強い。

 お話の中で「詩仙堂」にいかれたことがないとお聞きしたが詩仙堂を見ずにお帰り

 いただくのはまことに残念。

 幸い金閣寺より銀閣派だとおっしゃるので此処に決定。

 写真の詩仙の間から大きな山とかの借景はないがこの地に樹勢する木々が調和

 していて実に落ち着く。若いカップルなど十数人が等間隔に静かに座る。

 紫陽花の原種で幻の紫陽花と言われた七段花をはじめて見たのはこの地なのである。

 ときどき花花の虫食いがめだったがそれも丈山のこころなのであろう。

  この堂を立てた江戸期の石川丈山なる人物に思いを馳せるひとときであった。

 1986年、5月詩仙堂ご訪問時のダイアナ妃とチヤールズ皇太子の写真があった。

 憂いに満ちたお顔から妃の苦悩も日々をおもった。

 

     木の名もつ母と水の名もつ吾と炎を挟み時に距離置く

               春日 いづみ

                              (水甕 佐々木則子)


点字を習い始めてしばらくになるが、不勉強な私はなかなか上達しない。そんな折、水甕選者、藤川弘子先生より『炎の音』-小森美恵子の歌と人―(昭和44刊)をお借りした。86ページの薄い色褪せた冊子は、私の手にずしりと重い。

小森美恵子は大正11年生まれ、17歳の時に失明する。女学校の恩師松田常憲に「盲の歌をよみなさい。盲でなければよめない歌をよみなさい」と諭されたと記されている。

そして、日本で初の点字歌集『冬の花』を刊行し、第1回水甕賞を受賞する。

 

 盲吾れより諦めのよき黄金虫なり手に伏せ居れば丸く動かず

 白き蝶が汝れにとまると云ふ時に母はこよなくやさしき声す

 炎の音を告げつつ落葉燃ゆれども血潮静めて生きねばならぬ

 

さらに、本書で美恵子はこのように述べている。

大歌人茂吉にも晶子にも詠めなかった〈盲しいの歌〉をつくろうと思ったとき、盲目に生きることに誇りすら感じたのです。(略)盲しいでなくては詠めぬ歌を探しもとめて、私の耳は静寂の奥から何かを聞こうとし、見えない肉眼すら活き活きといつも見つめていました。盲女の孤独感が胸を押しつぶすときでも、そのような私を歌にする心で受けとめているもう一人の私がいました。

 

盲人というリアリティと豊かな詩情、見えない故に研ぎ澄まされた鋭い感性、そして美恵子の強靱な精神力に、私は打ちのめされた思いである。

(水甕  加藤直美)

逢ふたびにかすかほのめく火蛋白石オパールの移ろふ色にほだされてゐる
 田上純弥
(「The Phantom Rose Quartz」『鉱物短歌企画Vein』2018年5月6日 )

 5月30日の水甕全国大会では、加藤直美・木村美和と共に「短歌の詩性〜創作のヒントとして〜」と題して座談会を行なった。詩性の話をする木村さん加藤さんの前座として、私は「情報検索の案内」と称して「辞書と新聞と図書館とネットを活用しよう」という話をした。情報の収集や事実確認は、詩性を打ち出す以前のレベルだからだ。
 掲載歌はネットプリントで配信されていた、「鉱物」をテーマにしたユニークなアンソロジーから引いた。オパールという無生物を、魅力的な存在として擬人化している。和名にルビを振る衒学的なスタイルに旧仮名がよく似合う。この後に続く五首もヘリオライトやアクアマリンといった鉱物をモチーフにして、文体を揃えて連作として構成している。そして、英語のタイトルを添え、短いながらも貫徹した独自の美を示す。
 アンソロジーの散文のページでは、作者は参考書籍を挙げていた。それによると漫画『百年結晶目録』(青井秋)、小説『鉱石倶楽部』(長野まゆみ)、『ときめく鉱物図鑑』(山と渓谷社)、『美しい鉱物』(学研)であるという。おそらく普段から多くの書籍に触れている人なのだろうが、テーマを得たら本を読むという姿勢を自分は見習うべきだと感じた。後の二冊のような図鑑や解説本は公共図書館で借りられるはずである。私の地元の図書館を検索したら、例えば『世界一楽しい遊べる鉱物図鑑 』(さとうかよこ)や『よくわかる岩石・鉱物図鑑』(監修・円城寺守)などは借りられることが分かった。本を読めば短歌がすぐにできるというわけではないが、知識は短歌の邪魔にはならない。
 作者は短歌結社・未来の若い歌人。座談会では時間の都合でこの作品を紹介しなかったが、水甕社の人たちに向けて、他結社の人のこういう努力と詩性をきちんと示しておくべきだったと少し後悔している。

(水甕 重吉知美)

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