短歌結社・水甕には、小中学生の会員もいる。中学生の高岡真大さんは、小学生の頃から結社誌の常連だ。家族との会話や学校での出来事の歌を大人の仲間たちが微笑ましく読んでいたが、2月号の「あの日あの時」コーナーに寄せたエッセイでは少し様子が違っていた。愛犬の闘病の末の最期について綴り、四首の挽歌を添えていたのだ。掲出歌はそのうちの一首である。
犬と生きたことのない私でも、看取った時の記述は胸が詰まる。その短いエッセイの終盤に、彼女はこう記している。
蘭の歌は亡くした時のものばかりだ。どうしてだろう。元気な時のをどうして詠まなかったのだろう。
歌人の中には「不幸な歌の方が面白い」という人が時々いる。それは「他人の不幸は蜜の味」という不道徳な心理によるものであったり、悲しい歌の方が共感し理解しやすいとか選歌しやすいというものであったり、大抵は読者の都合として語られていることが多いように感じる。
対して、高岡さんは短歌の制作を続けてきた者としての自問を示している。なぜ、別れてしまった後のさみしい歌ばかり詠むのだろう。悲しみや不幸を歌わずにはいられない歌人たちが、共通に抱えている疑問だ。この問いに続けて、彼女はこの一文でエッセイを終える。
あの日あの時私も家族も蘭もみんなが幸せだったのだ。
幸せの記憶が挽歌の動機となるのかもしれない。