水媒花

みんなで綴る短歌ブログ。

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2018年03月

 
Ala Moana Beach

 ハワイのアイコンとして知れるものに、ハイビスカスやパイナップルと並んでダイヤモンド・ヘッドとビーチの構図がある。緩やかな弧を描くビーチの先にそれほど標高はないものの、太平洋を見下ろすようにそびえるクレーターの斜面はハワイのランドマークと言える。今は、ダイヤモンド・ヘッド州立自然記念公園として管理され、登頂路も整備されている人気の観光スポットだ。

 このダイヤモンド・ヘッドという名前、19世紀にイギリスの水夫たちがこの山を登った際、火口付近にあった方解石の結晶をダイヤモンド(金剛石)と間違えたことに由来しているのだが、ハワイの先住民族はこの山を「レアヒ」(Lēʻahi)(まぐろの頭という意味)と呼んでいた。カヌーで漕ぎ出した海から見る山の姿は、マグロの頭に見えたからという説や、「レアヒ=炎の渦巻き」という意味もあり、クレーターの縁に、カヌーの到着地点を示すかがり火を掲げていたことに由来する説などがある。ちなみにハワイ近海では新鮮なマグロが捕れる。

 ところで、地元ハワイで方向を示す際、海側をmakai(マカイ)、山側をmauka(マウカ)、西側をEwaを(エヴァ)と呼び、東側をダイヤモンドヘッドと呼ぶ。日の昇る東方に相応しい輝かしい呼び名ではないか! (海(マカイ)に囲まれた島であるので東西南北の意味ではない)

 登頂路の麓から山頂までの距離約1㎞。この輝かしいマグロの頭からの絶景を楽しんで頂きけたらと思う。


  現地語でまぐろの頭といふ山に金剛石の朝日まぶしき / 紺野万里 

                      『雪とラトビア*蒼のかなたに』                                      

                              (シンタニ優子)                                       サムネイル画像:https://unsplash.com/


 2018年3月18日(日)、東京・神田の専修大学法学部大教室で行われた歌人・鳥居と、前文部科学省事務次官・前川喜平氏の対談に参加してきました。
 鳥居のことは、『水甕』結社誌にも何度か書かせていただきましたが、話題になる前に書店で偶然、歌集に出会った時以来、注目し続けている歌人です。過酷な子ども時代ゆえにほとんど学校に通えなかった鳥居が、文科省を辞した後、夜間中学でボランティアをしている前川喜平氏と、人を介して出会ったことをツイッターで見ていたので、ふたりの対談ならぜひとも聞きたいと出かけました。
 会場は立錐の余地もないほどの盛況ぶり。様々な関心、思いでの参加だったにせよ、この場を機に鳥居の短歌を知ってくれる人が増えるなら、とても嬉しいと思いました。
 冒頭、鳥居が話す場面で、歌集『キリンの子』の歌をパワーポイントで紹介。歌集の最初の一首
 
  病室は豆腐のような静けさで割れない窓が一つだけある

は、何度読んでも胸を衝かれます。鳥居の声はとても小さく、話し方もゆっくりなので、彼女が話すと広い会場がしんとするのが印象的でした。
 いつもセーラー服である理由として、「なぜ?と疑問を持ってもらい、聞く耳を持ってもらうため」と鳥居は言います。何の肩書もないと他人は話など聞いてくれないからと。日本にも初等教育が保障されていない子たちがいることを知ってほしいからと。
 前川氏の言葉では、「存在しているのに目を凝らして見ないとわからない問題がある。」が心に響きました。
 対談に移り、前川氏は鳥居との出会いを「とても幸運だった」「短歌が人の生を変える力があること、言葉のもつ力を改めて実感した」と述べ、鳥居も含め、学び直したいと切望する人たちの運動が、70年間不作為(前川氏の言葉)のままだった文科省を変え、夜間中学の門戸を広げる新しい法律制定につながったと述べました。
 会場からの質問で、非常に心に残った鳥居の回答が二つありました。一つは「短歌が上達するには?」という質問に対し「冷徹になること」。もう一つは、「身寄りもなく学びも保障されない中で、歌集を出し、人前で話すような今につながるきっかけは?」という質問に、鳥居が「孤独を択んできたことがよかった」と答えていたことです。静かなその言葉に、尋常ではない意志の勁さを感じました。
 対談に入る際に二人がハイタッチをしたり、前川氏が中学生に授業で夜間中学のことを話す際、「夜間中学って、知ってる?教室の真ん中に大きな薬缶があるんだよ」と言うと中学生たちがうなずく話など、会場を和ませつつ、予定時間を越えての熱談は、ライブで聞くことの価値を実感させてくれるものでした。

(寄稿:水甕芦屋支社 一海美根)

サムネイル画像:http://www.ashinari.com/2012/04/28-361315.php 

1番好きなのは、2つ目の作品です。

「とうふの人」

六月のある日
とうふの上で
寝ころんでいる人を見た
思わず
 気持ちよさそうですね と
声をかけると
 ちめたくて
 ちもきいいです
不思議な
答えが返ってきた

(中略)

くつを脱ぎ
そっと寝ころんでみた
 ああ
 ちめたくて
 ちもきいいな と
思うやいなや
ぬむぬむ
身体が沈み始めた
困ったといえば
なるほど困ったことだが

(後略)

このあとどうなるでしょう?ご興味のある方は、どうぞ詩集を読んでみてください。
豆腐の上に寝ころぶだなんて、発想だけで面白いですね。
これほどまでにあり得なさそうな設定が、なんとも自然に感じられるのは、
じめじめと暑くなり初めて、豆腐の気持ちよさに触れたくなりそうな「六月のある日」であったり、日本人なら誰でも(?)その気持ちよさを知っている「豆腐」であったり、「くつを脱ぎ」のこれまた日本人に馴染み深い、それもこの場面でやや間の抜けた感のある礼儀正しい作者像であったり、「ぬむぬむ」の絶妙さであったり……。
そして、言葉遣い!

  ちめたくて
  ちもきいいです

なんでしょう。この気味の悪さは。
豆腐の上だからと言って、小さな人でもなさそうです。つぎの日には、そこに大人である作者も寝ころぶのですから。年齢不詳。性別も……あるのかな。
不思議な、人ではないような人の、そう、まさに豆腐の上に寝ころぶような不思議な人にぴったりの言葉遣いです。
それらに不思議と説得されてしまうのでした。


友人が、お薦めの詩集を貸してくれました。
空間が良いのだとか。
帯には、

  それからは
  僕が歩くたびに
  ころころ
  音がするようになった

   奈良ののほほん詩人、西尾勝彦の詩集

と書いてあります。
イラストは、「食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』でおなじみの安福望さん。

詩集をあまり読んだことがないので、軽い感想と、
いいな~、と思った詩を少し紹介することにします。
ただ、詩とは、どこまで引用が許されているものなのか、、よく分からないので、
中途半端に、ほんとうに少しだけ。

「半笑い」
僕は
日々
貧しい農夫のように
過ごしています
そして
いつも
しずかに
半笑いなので
よほどの人しか
近寄ってきません
(中略)
僕もお返しをしようと
ごそごそしますが
何も見つかりません
しかたがないので 
 ごめんなさいね と
真顔で言って
また
半笑いに戻ります

冒頭の詩です。最後に一瞬真顔になり、また半笑いに戻るところが好きです。
作者は半笑いをしている自覚があり、自分のことを客観的に、それも随分と的確に捉えています。
意図的に半笑いをしているのかもしれません。そうだとすると、やや小賢しさも感じられます。
そうでなければ、ある頃までは、半分ではなく全面に笑い顔を見せているつもりだったのかもしれません。楽しそうな、幸せそうな、決して傷ついていないような顔をしているつもりだったのかもしれません。
いずれにせよ、半笑いはいつしか作者の顔となり、外の風を受けながら、作者の心を大切に守っているように思いました。

                           (木村美和)







サトウキビ

沖縄土産に戴いたサトウキビ。
食べるのも目にするのも、初めてです。
表面を剥く、、というより薄く削ってガジガジ齧ると、素朴な甘さの汁が滴ります。
これが結構硬くて、見た目は中身の詰まった竹みたいで、
ガジガジガジガジガジガジガジガジ、、、
飽きたとか、顎が痛いとか言う子ども達のあとも引き受けて、
ガジガジガジガジガジガジガジガジ、、、
ガジガジガジガジガジガジガジガジ、、、
噛みしめる歯ごたえと素朴な甘みを、いつまでも1人味わっていた春の日の午後。

~噛みしめる思いは遥か黍畑に吹く風の色をまだ見ずにゐる

                           (木村美和)







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