ブログメンバーの加藤直美さんが昨秋、第一歌集を出された。水甕賞受賞経験があり、作歌力は十分で、待望の歌集だ。
 既に本人からの紹介、ご寄稿による歌集評もある。

金の環 歌集出版のお知らせ
成人の日 歌集からの作品紹介
『金の環』 の歌評をいただきました! 枝豆みどりさんご寄稿


 私からは、まずは震災について詠んだ歌を紹介したい。

新学期の子の教科書に一行の史実となりて〈震災〉がある pp.77

 1995年の阪神・淡路大震災か、2011年の東日本大震災か。教科書に(おそらく社会科か日本史のそれに)表記されているのだろうか。教科書に載るということは、死傷者が多かったということ、損害が大きかったということ、その後の社会への影響が深刻だったということだ。だが、それらの詳細は省略され、<一行>にまとめられる。他の史実と同様、重要なことだが簡潔な表現で示されるのだろう。

ライラックの便りとともに地震なゐふりし地より答案戻り始める pp.89

貌見るなきボーロのやうなひらがなが囁く「じしんはこわかったです」 pp.90

 職業詠の連作より二首。通信教育の添削の仕事のようだ。ライラックが咲くのは4月以降だというから、2011年東日本大震災の被災児たちと思われる。お互いの顔を知ることのない、文字だけでやり取りする関係。<ボーロのやうなひらがな>を書く子は、作者の馴染みの(ただし対面する機会のない)児童かもしれない。丸っこい文字か、またはタマゴボーロのようにふわふわした文字か。すべてひらがなで書くぐらいだから小学校低学年だろうか。「じしんはこわかったです」と自分の恐怖を頑張って言語化した健気さに胸が痛む。

潮の香が川上がり来る雨の前ここにも津波が来るといふこと pp.132

 加藤さんは確実に「あった」事実として震災を詠む。ある災害に関して、そこで被災しなかった者の多くは記録を読み、話を聞くことで震災を追体験していく。本歌集の「震災詠」を読んで、私個人の震災追体験はどうあるべきだろうかと考えた。

(水甕 重吉知美)