「木ノ下葉子『陸離たる空』を読む会①~加藤英彦氏」に引き続き、②田口綾子氏の発言です。
※簡単なメモの抜粋です。お気づきの点等ございましたら、お手数をおかけしますがお知らせください。

Ⅰ 凝視
 目力すさまじい作者である。作者は、都合の悪いものをシャットダウンしないことを、強いと思い、大人と思い、そうなれないと言う。異常なまでに目の前の物に執着する。ただ見るのではなく、正しさへの希求につながる。

  瞼より眼が偉いばつかりに静かなひとになれないと泣く (P122)

  目を開けて生まれたる我まなこには母の痛みの入らむばかりに (P133)
  目の前で色の褪せゆくことのなき紫陽花の玉を日暮れまで見つ (P149)


 
Ⅱ「正しさ」への志向
 
  視野の端の眼鏡のフレーム消し遣りて仰ぐ景色を二刷(にずり)と思ふ (P26)
→フレームの無い景を本当とまでは思っても、なかなか二刷までは思わない。本当の景、つまり正しいと思う景は、しかし私が加工した景である、と作者は思っている。

  真つ白にこんなに白くなるのかと指ばかり見る顔よりも見る (P48)
→本当は顔を見るのが正しい。でも指を見てしまう。理想の正しさとずれてしまう自分。

Ⅲ「正しさ」のバリエーション
「見る」以外の例

  お大事にと言はれて気付くさうだつた私は患者で貴方は医師だ (P48)
  金環日蝕まさに輪になる瞬間に人の噂を始むる母は (P188)

Ⅳ 聴覚への広がり
 歌集前半は視覚優位。後半は聴覚に取材した歌や破調が出てくる。

  葉擦れ鳴る中庭はどこも閉ぢられて風だけが去るしまとねりこ揺る  (P165)
結句八音は歌集中唯一では?

Ⅴ 過去に向き合う
 過去の助動詞の使い方が独特。

  死ぬということば覚えてのち暫し生くといふ語を知らずに生きき (P17)
  別館五階緩和ケア科の廊下には厚き絨毯敷き詰められき (P43)

→生きるとか、絨毯が敷き詰められているとか言うときに通常、過去「き」を使わないのでは。このような形で過去の助動詞を使う作者の思いを象徴するような歌が次の歌。

  現在を過去へ押し遣るやうにして定まらぬ夜のアクセルを踏む (P10)


~つづく。次回は清水正人氏です。

(水甕岡崎支社 木村美和)