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タイトルは『陸離たる空』、章題は「Ⅰ空が鳴る」「Ⅱ空が揺る」「Ⅲ空を乱す」「Ⅳ空に住む」。作者はいったい、どのような空を見上げているのであろう。

 

空の底ぞつとするほど露出して逆上がりさへ無理せずできる


底とは重力のかかる方向であり、たいてい足を下ろす方向。空を見上げて底を思うとは、空を見下ろし、空に引かれる(落ちてゆく)ような感覚か。高層ビルから落ちるよりもずっと距離のある、そこはかとない底。それをまざまざと見せられて、不気味さや怖れを覚える。〈ぞっとする〉〈露出して〉を、そのように読んだ。そして空に引かれる感覚で〈逆上がりさへ無理せずできる〉と。論理的にスムーズにつながる。しかし、不思議な感覚だ。上の句から受ける感覚と、下の句から受ける感覚に若干ズレを感じる。上の句のそこはかとない不気味さに対し、下の句は、逆上がりという子供のような行為や、〈無理せず〉から受ける安心感が、どこか懐かしい。空の底に、何があると言うのか。不気味さと怖れ、そして同時に、強い力で引き寄せられる懐かしさ、そのように空の底の異界を見上げている作者を思う。

  葉の間(あひ)に透けて見えぬる青いろを疑ひてみきそらと言ふもの

 

歌集に並ぶ歌から、作者が、あらゆる刺激を自身の感覚で、まるで初めて受ける刺激のように鮮やかに捉える様子が見て取れる。その感覚はあまりにも鋭く、あらゆる刺激が、強く、激しく、ときに暴力のように作者を襲う。この歌で、作者は葉を、葉の間に透ける空を見上げている。そして、その青色を疑い、空そのものを疑う。〈いろ〉〈そら〉は、その意味を消され、作者の感覚により新たに意味を与えられようとしている。

 
  私とは違ふ覚え方したのだらう曲がり角では空を見上げて

誰かと道を行く場面。その人は、やや浮世離れした人なのか、曲がり角で空を見上げて、進むべき道を判断しているらしい。星を見て方角を知る、ということでもなさそうだ。不思議そうに、しかし力みのない心地良さを、作者は感じているのではないだろうか。道は、具体とも抽象とも読める。苦しみや迷いのただ中にいるときにふと肩の力を抜いてくれそうな「誰か」であり、その「誰か」が判断をゆだねる「空」なのである。

 
  きみの名に忌と続ければ唐突に君は死にたり陸離(りくり)たる空

 タイトルは、この歌からとられている。「陸離たる」とは、(形動タリ)①光が入り乱れて美しくかがやくさま。②複雑に入りまじるさま。(コトバンク「大辞林第三」)

 名前に続けた「忌」の一文字で、生きていた人が、唐突に故人となる。死は突然訪れるということを、なんと身も蓋もなく描くのか。まるで、目の前にその人の倒れるさまを見るようだ。〈君〉は、読者である「わたし」かもしれない。唐突に、「わたし」に死の訪れるさまを、無声映画を見るように見せられてしまった。それでいて感傷や、生々しさ、哀しみは感じられない。生も死も入り混じり、そこにある悲喜交々を美しい輝きとして映す空。作者は、空をそのように見上げているのかもしれない。

一首目に戻るが、作者が空の底に見る異界には、そういった意味で、生も死も入り混じる恐れや懐かしさがあり、それらが一粒一粒の光として美しく輝いているのではないだろうか。〈陸離たる空〉を今日も明日も作者は見上げ、生きてゆくのであろう。

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(水甕岡崎支社 木村美和)