水甕本誌には、小学生以下の「水しぶき」欄と、中高生の「飛び魚」欄があります。
欄が作られた当初、幼稚園や小学生だったうちの子たちも興味を持ったので、とりあえず、一人だけ投稿させてみました。
子供は気まぐれですし、まあ、一人の名前でみんなで作ってもいいかな、、などと安易に考えたりもしたのでした。
ところが、子供たちから大ブーイング。
「これは僕の歌じゃない!」「これは私の歌なのに!」と、まあ、当たり前なのですが、幼稚園児とはいえ表現者であることを忘れ、読者へも不誠実なことをことをしてしまい反省しきりでした。
しばらく3人の歌を続けてゆくうちに、さらに納得。歌の作り方も、雰囲気も、拘りも、全く異なる様相でそれぞれの心を映すさまに目を見張り、子ども自身を再発見する思いでした。

また、ある日は、子供たち3人を短歌大会に応募させたことがありました。
それぞれが仕上げた作品を読み、上の子へは、多少てにをはをアドバイスしました。真ん中の子は「賞が欲しい!」と、いろいろ聞いてくるので、それに応じて「ここは具体的にしては?」などと答えたように記憶しています。下の子は、まあ、字が書けていればいいかな、程度に思い、チラリと見たのみ。
結果、下の子が選者賞を、上の子が佳作、真ん中の子は何もなく、なんともはや、かわいそうと申しますか、面目無いと申しますか……。
以来、子どもの歌には一切口出ししないことにしています。
今となっては、それが初めての応募で良かったと思います。

  大人ってつかれるのかな子育てにでも私はね大人になりたい

(水甕2018.8.水しぶき欄 木村日香理)


  何気ない学校生活すごすたび子供のままが良いと思うの

(水甕2018.9.飛び魚欄 高岡真大)


(水甕岡崎支社 木村美和