水媒花

みんなで綴る短歌ブログ。

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新聞を一部求める待機時の長い沈黙なぐさめるため
五指の先少し黒ずむ新聞を一通り読み終えた頃には
どう読んでも分からぬものは分からぬとビットコインの記事諦める

『水甕』2017年11月号より
(重吉知美) 

 

 インターネットのお陰で、世界を身近に感じるようになる一方、深入りして戸惑うことがある。私がここハワイという特異な土地に実際に住み、深まるハワイとの関係で知ったその傷痕は、私の短歌生活を語るうえでは外せない。限られたスペースだが、その背景と実情を整理したい。

 私がハワイに嫁したのが1987年なので、既に30年が過ぎた。この地を訪れたことのある方ならご存知だが、非常に日系人の多い地である。

 1868年に153名の移民が日本からハワイを訪れたので、移民の歴史は150周年を迎え、ブラジルの110周年と比べると一世代ほど古い。真珠湾攻撃が1941年なのでそれ以前には既に日本人社会は構築され、経済をも支えるほどの力と人脈が生まれていた。こう書くと、容易く日本人社会が出来上がったように読めるが、実情は、サトウキビ畑での過酷な労働と不条理な移民契約のもと、人身売買さながらであった。勤勉な日本人は、その契約を中途解約する道も許されずに、働き尽くめで日本人社会を作ったのである。

 当時の記録を紐解くと、日本語の看板が続く商店街を行き交う人々は着物を着て日本髪を結い、子供らは日本語学校に通った。日本語メディアは、新聞ラジオ共に早い時期に開設され、文芸欄には早くから潮音詩社が活動を開始していた。

 ハワイの日系人は、想像以上に日本人としての血を誇りに思っている。それは、あの悲惨な大戦を乗り越えて勝ち取った誇りかもしれない。強制収容所に入れられた日系人が苦境を乗り越えるのに俳句や歌を詠んだ。自分たちが受け継いで来た文化に祖国日本を想い、日本人であることを再認識しつつ境遇を受け入れるという辛苦。アメリカに忠誠を誓うも、日本人であることは決して忘れないプライド。私以上に日本人であることを誇るハワイの日系人の姿に心を打たれると同時に、その一途さが切なくて仕方がない。

 海外に生きるということは、言語や習慣だけではない壁を抱えて生きることだ。無意識下の差別を自分で作ってしまうことさえある。しかし私が歌を詠む時、私の中で再生される日系移民の望郷の想いが泡立ち、私と共鳴し(時として格闘し)、やがて凪ぎるのを感じる。それはあたかも先人の魂を繋いでいく作業のように尊く満ち足りた時間でもある。

 日本の歌壇から遠いこの地で、かつての私はよく孤独を嘆いていた。歌集も簡単には入手できず孤立感ばかり膨張する時、日本の水甕社友がこう言った。「置かれた地であなたにしか詠めないことを詠んで」と。…移民にしか解らない宝物…「そうか!」その時私は初めて探し物が見つかった気がして小さな悲鳴をあげた。   

                           (シンタニ優子)



結社誌『水甕』2018年(平成30年)1月号「短歌らんだむ」に掲載  

http://mizugame100.web.fc2.com/

 

の投稿である、重吉知美氏「メディアを通して被災したこと」、加藤直美氏「傲慢な読み」、その元となった大辻隆弘氏「分断を超えるもの」を、興味深く読み、思い出した話がある。

 

先月227日に行われた中京大学文化科学研究所フォーラム「歴史と文学の間」での、中京大学文学部歴史文化学科教授小川和也氏「大河ドラマ・司馬文学と歴史学~日常の発見~」(1)。そして、38日日経新聞朝刊文化往来欄「司馬作品通じ変革期の生き方考えるシンポ」(2)。司馬とは勿論、司馬遼太郎である。

 

1)の話は、1980年の大河ドラマ『獅子の時代』に始まる。ある時代(特に転換期)を描こうとすれば、見る人にその時代の大きな流れを伝えねばならない。そのとき切り捨てざるを得ない「並の人間」の日常があり、同時に、主人公を日常へ近づけようとする強い意識がドラマ制作の中にあったことが話の前提とされる。

人間の日常生活には、共通性・普遍性がある。そこから過去の人物に親しみを感じ、「肉体感」が生まれる。 いまを生きるわれわれにとって、「日常性」とは、歴史的時間をリアルに感じる通路になっている、というわけだ。

 また戦後、歴史学の史料分類には「民主化」という課題意識が反映し、その項目は、政治経済に集中した。民衆の日常に関する資料は重視されず、「雑」という項目に一括して分類され、顧みられることがなかった(青木道夫・百姓一揆研究の旗手)。その「雑」に入っていたものが、俗謡の書き写し、手習い本、句集、歌集、瓦版、生け花、囲碁・将棋などの本……であった。

 

  数日後、新聞に、同じ司馬遼太郎が出てきて目をとめた。こちら(2)は、その著書を通じて「人は変革期にどう生きるか」を考える、第22回菜の花忌シンポジウム。

 歴史学者の磯田道史氏「AI(人工知能)の普及で仕事がなくなると騒がれる現代は人間の肉体性が否定される時代ともいえる。それは幕末・維新期と重なる」、作家の浅田次郎氏「科学がどんどん進んでいく時に求められるのは哲学や文学ではないか」などの指摘に興味をひかれた。

 

冒頭の話に戻る。

重吉氏、加藤氏、大辻氏の論考に述べられる「分断」とは、歌壇に拠らず現代の社会全体についての問題と言えよう。AIが進み対人ストレスなくサービスを受けられ、SNSで同じ考えを持つ者同士が簡単につながる。教育や経済の格差はますます広がり、知らないものに対する遠慮や漠然とした怖れが、分断を、より深める。

そんな中、歌が、向こう側にいる人との連帯の可能性を示すことがある、と大辻氏は言う。歌には日常生活が詠まれる。政治経済に直接かかわるでもなく、時代を象徴するような事件でもない「並の人間」の日常生活に、自分と同じ情けを見たとき「向こうの」人と思っていた人物が、肉体をもって立ち上がる。それが「向こうの」世界に興味を持ち、理解しようとする通路ともなり得る。変革期であれば猶更、人間の共通性や普遍性を見つめる哲学や文学が必要とされるであろう。

司馬史観の中に在る「お前はいったい歴史にどう参加しているのか」といった個々の主体性への問いかけ(小川)に対する答えを、歌を詠みながら探してゆきたい。

                             (木村美和)

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