水媒花

みんなで綴る短歌ブログ。

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 昨年の8月の記事で藤田正代さんの作品を鑑賞した。その後、ご本人から第一歌集をいただいて恐縮していたところに、11月に発行されたばかりの第二歌集『冬薔薇』までご恵投いただいてしまい、恐縮しすぎて剥いた目が塞がらない(そんな慣用句はない)。
 先にいただいた歌集のご紹介がまだだが、やはり最新歌集の話をしよう。

 歌集タイトルの「冬薔薇」には奥付けには「ふゆさうび」とルビがふってある。ただし、藤田さんは旧仮名遣いなので、「さうび」は「そうび」と読む。「ふゆそうび」と読んで、意味は字のごとく冬のバラのことだ。
 この歌集は「冬薔薇」のモチーフが冒頭と巻末に出てくる。

冬さうび蕾のままの寂しさは追つて行けないうしろでに似て pp.12
散りどきを見定めて切る冬薔薇死にぎはと言ふきはを思ひぬ pp.13
冬薔薇うぶ着のやうな花びらをそらして咲けり転院の朝 pp.198
しみじみと語ることなく逝かしめて写真の母に飾る冬薔薇 pp.200
いまここがわたしの居場所冬バラの咲きたる庭に朝の陽は差す pp.203

 共通するのは、これらの薔薇の具体的な色がほとんど示されていないという特徴である。「冬薔薇」は辞書では文字通り「冬の薔薇」という意味であるし、画像検索すると濃い赤色や薄いピンク、黄色など様々な色があるようだ。そうなると、もう少し記述してほしいという批判もありうる。どんな色かによって、歌の印象が変わりうるからだ。色を明らかにしないのは、読者に好きな色を想像してほしいという狙いがあるのかもしれない。
 一方、形については表現を心がけているように読める。<蕾>の状態を<うしろでに似て>寂しいと言う。<散りどきを>見定めて切るというのは要するに萎みかかっているのだろう。三首めの冬薔薇は咲いたばかりなのだろうか、<うぶ着のやうな花びらをそらして>いる。最後の歌は朝日が差して冬の薔薇が咲く庭が自分の居場所だという決意のような、希望のような作品で、これを巻末歌として配置しているのが象徴的だ。しかし、ここでも薔薇の花の色については触れていない。庭にたくさん咲かせていて、色とりどりなのだろう。
 歌集タイトルにするくらいだから冬薔薇がお好きなのだろう。他にも草花の歌がたくさん出てくる。私は自然の歌が苦手なので、参考にしながら読ませていただいた。

(水甕 重吉知美)

   冒頭「できるとはかぎらないけれどリプライで出た難題で短歌をつくる」という荻原裕幸個人企画に始まり、そのストイックで自信溢れる題を見ただけで恐れおののき表紙を閉じてしまったヘボ読者の私ですが、後日怖いもの見たさでもう一度開く。
 応募された難題、たとえば「来世で餃子に生まれ変わっても」(鈴木陽一レモン)とか、「眠れない夜に唱えると嘘のようにぐっすりと眠れる短歌。できれば二、三分以内に効果の出るもの」(龍翔)とか、「一世一代の恋の告白を短歌で」(月丘ナイル)とか、まさに無理難題の二十九首が見事な歌で完遂されていて、かっこよすぎる。
   たとえばこんな歌。

  たぶん宇宙の晴れ上がりから続いてるひかりの粒のあなたの小言
   (荻原裕幸  「宇宙の晴れ上がり」中家菜津子)
   4句目までの広大で美しくもふわふわとした長い修辞をもって言う言葉が「あなたの小言」。これよりも美しく、また懐かしく表現された「あなたの小言」を聞いたことがありません。「ひかりの粒」が、かけ離れた上句と結句とを自然につなげていて、上句に現実味を、結句に抒情を与えているようです。好きな歌です。

  何が禁じられたのかさへ話せない秋にしかあなたを愛せない
    (荻原裕幸  「自由題 ただしウ段音禁止」濱松哲郎)
  「自由題」とあえて書くところが憎いですね このような題を頂いたら、何をとっかかりにするでしょう。ウ段音を使わない言葉をまず思いつくまま並べてみるでしょうか。ア段から並べていてさっさといい感じにまとまったのかな、、あ、そんな単純に詠んでないですよね。ともかくア段ばかりの音の響きの明るさは危うさとなり、内容にまで及ぶ制約の息苦しさをさらに追い込む。言われてみればウ段音を持たない季節は秋のみですが、出てくる語の中で少しニュアンスが異なり、ここにわずかな空気の流れ(呼吸の許される隙)を感じました。題の縛りを逆に活かすバランス感覚に感じ入りました。

  亡命をなさざるままにふたたびの八月まぼろしの雪が降る
   (荻原裕幸  「塚本さんが43歳の誕生日につくってそうな歌」くらげ)
 短歌の練習で文体を真似してみるというのを以前話されていましたし、塚本邦雄の文体はお手の物かもしれません。ちなみにこの歌は「1960年代前半の塚本邦夫のパスティッシュっぽくしてみました」そうです。

 題詠難しかった~と、まるで自分が詠みきったような満足感
 題詠をするとき、「題からいったん目を逸らした方が書きやすい気がします」「いちばんの問題は、題詠をいうプロセスを外しても読むことのできる作品になっているかどうかかな」とのことです。メモメモ。。

(水甕岡崎支社 木村美和)



わたくしが復讐と呼ぶきらめきが通り雨くぐり抜けて翡翠かわせみ pp.6
胸をながれる旨くて熱い黄金よ秋は冒瀆にはよい季節 pp.21
やがてそれが墓であったと気づくまで菜の花畑の彼方なるらい pp.57
さみどりの栞の紐を挟みこみやわらかに本を黙らせている pp.92
もう行くよ 弔旗とキリン愛しあう昼の光に君を残して pp.171

 服部真里子さんの第二歌集『遠くの敵や硝子を』(書肆侃侃房)を読んだ。第一歌集よりも難解で不穏な表現が多いように思う。なんだか服部さんが私たち読者に「もっとついてこいよ」と迫っているみたいで、彼女に煽られるように一気に読んだ。
 歌集評についてはネットや各誌にたくさん載っているだろうから、ここでは特に述べない。それよりも私たち歌人が彼女から盗めそうなテクニックについて考えてみたい。

 掲出歌に共通するのは、輝きや美しさを連想させる言葉の中にドキリとするようなネガティブな言葉が一語混ざっているという特徴である。<復讐>、<冒瀆>、<墓>、<黙らせている>、<弔旗>などをそうだとしてみよう。ここでは便宜的に「ダークワード」と呼んでみる。うわー中二病っぽい(私のネーミングセンスが)。
 ここで大事なのは、一首の中におけるダークワードの比重または役割である。一首めは、<きらめき>とそこから連想される<通り雨>の爽やかさ、<翡翠>という美しい鳥の名前に比して、<復讐>という言葉が荒々しく迫る。しかも<わたくし>が<きらめき>に対して<復讐>と名付けているのであり、このキラキラした風景はすべて<復讐>に彩られている、というカラクリだ。どうだ、三〇年遅れの中二病でなくても何度も読み返してしまうだろう。巻頭歌からこの調子だから凄い歌集だ(語彙力)。
 四首めはの四句めまでは割と穏当な言葉を配置しているが、結句で「(本を)<黙らせている>」というなんとなく暴力的なイメージを喚起させる。しかも、決して分かりやすい暴力ではなく、じわじわと怖がらせる、まさに「黙殺させる」主体としての「私」だ。通常、「本を眠らせている」としてしまいがちだが、それだと穏当でお上品な歌にしかならないだろう。
 五首めはもともと<弔旗>というダークワードがメインであるが、そこにいろいろと暗い言葉で飾ってしまうと<弔旗>のインパクトが弱まる。<キリン>、<昼の光>というあえて暗さを連想させない言葉を配置して、<君>への弔意をじんわりと感じさせるのである。そうして、初句と一字空けにこめられた悲しみを味わうことができる。本歌集はこれを巻末歌として締めている。
 自分の歌が歌会で「キラキラしすぎ」と評されたら、一語ぐらいダークワードをひねり出してはどうだろうか。逆に「暗すぎる」と言われたら明るい言葉を考えてみてもいい。それから推敲してみてもいいと思う。

 そうはいっても私は次の歌が大好きだ。ダークワードを駆使して心身ともに攻撃されやすい立場にいる誰かの、反撃の牙を表現している。

夜の雨 人の心を折るときは百合の花首ほど深く折る pp.62

 (水甕 重吉知美)

 服部真里子さんの第一歌集『行け広野へと』の記事はこちら。 
 

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