水甕、木村美和さんからご紹介いただいた歌集『金の環』を手に取りました。作歌歴17年、水甕芦屋支社加藤直美さんの第1歌集です。黒地に金の装丁が宇宙を思わせる、とても美しい本です。
「花冷えの夜」
遠からず来るメノポーズ霧深き異国の街の名前のやうな
メノポーズという言葉を知らなかった私ですが、調べるまでもなくそれと伝えうる歌。霧深い異国の街、そこに居場所を見つけたとき人はどんな表情をするのでしょう。それまでには無い、新しい笑顔を会得しているかもしれません。
「零るる水」
筆跡に人を想へば骨格をたどりし指はほのかに湿る
誰にでも筆跡はあって、それは人となりを表します。文字を見てその人を想う。とても美しく始まり、馳せる気持ちは次第に愛しさに変わります。日常に潜む静かな官能に惹かれました。 文字から誰かに思いを馳せる歌はほかにも何首かあって、その時時の大切な人が見え隠れします。
「 金のリング」
二分後に君も観るだらう日食の金のリングにとほす薬指
これがひとつめの金の環。2012年の皆既日食を歌っています。かなりの距離を置いているふたりの愛情は、淋しげだけど、きっと通じているはず。
「青はまぼろし」
若さとは透き通ること後輩の髪かけてゐる耳朶きれい
透明感のある若い女性の耳からうなじのラインが浮かびます。澄んだ声も聞こえてきそう。若さが透き通ることなら、年を重ねるとどう変化していくのでしょう。その先はどんな歌が生まれますか。
「月蝕」
夏祭りの金魚根方に埋めるたび瘤を増やして咲く百日紅
夜店の金魚は大方死んでしまって、それを埋めた記憶は、もしかしたら誰にでもあるのかもしれません。百日紅の瘤が増えるのは決して金魚のせいではないのに、あたかもその命を宿して増えていくかのような不思議な歌。夏祭り。夜。金魚。死。埋。と奇妙な怖さを連想する上句と「さくさるすべり」という結句。軽い印象の音で終わってそれらが宙に舞うようです。 (ちなみにその百日紅の瘤だけを切って水に浸けておくと根を張り芽を出して大きく育ちますよ。)
「底の二粒」
犬は犬を子供は子供を目で追ひぬ夕暮れの道擦れ違ふとき
ああそうだな、と腑に落ちる光景。目で追って、ほんの少し目で会話して擦れ違うだけ。そんな一瞬を、成長しても覚えていたりしませんか。優しく確かに通じあった一瞬の記憶。
「月の砂漠」
一斉に梅桃桜咲くやうな祖母の笑顔は人を忘れて
梅桃桜咲くような笑顔。この言葉をきっと忘れないと思います。特定の人だけの無垢な笑顔はとても貴いです。
「小さきフレーム」
摘(つま)めないゆゑに床へと押し付ける髪一本に指の苛苛
穏やかな歌の狭間にこんな歌もあってホッとします。
いらいらしてもいいんですか?
いいんです。
いいんですね、と。
「秋のきくらげ」
聞き耳を立てて聞かざるふりをせり水に拡がる秋のきくらげ
きくらげは漢字で書くなら木耳。耳に似ています。水に浸ければどんどん拡がる黒い耳で聞き耳を立てる。それと知られないように黒く大きな耳を…、という奥底に潜むざらりとした気持ち。台所って少し怖いですね。
「 林檎の時間」
麻痺の手は林檎一つの重さほど幾年ぶりかに触れる父の手
深く眠った赤ん坊はなぜかしらその重さが増したことを思い出します。自由を失った手、大人の男性の手を林檎に例えて歌う介護。深刻になりすぎず、ありのままに歌われた介護はやはり貴い世界です。
完熟を過ぎれば蜜から腐りゆく林檎の時間に刃をあてる
林檎に例えられる介護の日々。何度も読み返しました。紛れもない真実がここにはあります。他には明るく滑稽な歌もあって、そこで少し笑って、そしてまたやりきれない感情に支配されていくのです。
「金の環」
香りつつひと夜に散りし木犀の金の環めぐらせ人を拒みぬ
地面に散った金木犀の小さな花々の美しさ。ある日一斉に散って地面をまるく彩り下からも香りを放ちます。可愛らしい橙色に染まった場所に足を踏み入れるのは躊躇われ、それは確かに金木犀が張った結界なのかもしれません。 これがもうひとつの金の環です。
加藤さん自身の職業詠もあって、それらは個人的にとても興味深いものでした。面白いです。この歌集をこれから読む方たちのために敢えて言及するのをやめておきます。 私はこのまま不器用に年を重ねてもいいのかな、という思いにとらわれつつ日々を過ごしています。そんなときにこの歌集に出逢いました。ささやかに働きつつ、子離れを乗り越え、親を病院へ車で送り迎えし、少し疲れて横になって、夕飯は手抜きをしたりして。それでいいのよ、と言われた気がしました。愛すべきたくさんの人が生活の隙間に垣間見えればそれで生きていける、そう思わせてくれる静かな歌集でした。穏やかな余韻にまだしばらく浸っていられそうです。
(寄稿:枝豆みどり)