水媒花

みんなで綴る短歌ブログ。

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9月12日、キラーズ  (The Killers) の来日公演を日本武道館で聴いてきた。

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ボーカルのブランドン・フラワーズとドラムのロニー・ヴァヌッチィがサポートメンバーを連れて来日

 キラーズはアメリカのバンドで、イギリスでも人気がある。在日英米人のファンだろうか、会場内は英語を話す人々が多かった。一階席の私の隣にも若い白人女性の二人組が座り、英語で会話しながら開演を待っていた。
 ライブが始まると気づいた。この二人、ガチファンだ。
 一曲目の "The Man" からアンコールの "Mr. Brightside" までおよそ二時間ほど、ずっとスタンディングで歌詞をボーカルとともにずっと一緒に熱唱しているのである。君ら、アリーナ席の方が良かったんとちゃうんか。(ただし、途中の "Tyson vs. Douglas" では「え?それ歌うの?」とばかりに戸惑って歌っていなかったのが個人的にツボだった。)また、さすが英語話者、英語うめーなーと思ってた。
 オーケストラか合唱のコンサートにしか行ったことがなかったので、聴衆が演奏者と一緒に歌うというのは面白い体験だった。

 一方で、この彼女たちにとって異国の地で母語の歌を聴き、歌うというのはどんな意味を持つのだろうか、と考えさせられた。沖縄研究の社会学者の本に、こういう一節がある。
昔、私が在籍した大学院の博士課程に、沖縄から進学してきた院生がいて、彼女はウチナーグチもわからないし、沖縄なんてぜんぜん興味ない、と言っていたが、いちど大阪で飲んでカラオケに行ったとき、「てぃんさぐの花」を歌いながらボロ泣きした。(岸政彦『はじめての沖縄』新曜社、2018年、pp.59)



 また、海外在住の日本人・日系人が短歌制作を始め、続けるというケースも多い。
 英米人、沖縄人、日系人の体験をすべて同一視することはできないが、異郷で母語の詩歌を奏でるという行為には、本当にどんな意味があるのだろう。日本本土の歌人が日本語で短歌を詠むことに無自覚でいられるのは、マジョリティ特権である。私はマジョリティとして、自分と違う人たちがいるということをなるべく忘れないでいたい。

(水甕 重吉知美)

 参考までに、ライブでも演奏した "Run For Cover" のPVを。



 近所のスーパーに、28日公開の時代劇『散り椿(つばき)』のポスターが貼ってあります。さほど気にとめていなかったのですが、先日それについて書かれた記事を読み、興味をひかれました。
 『散り椿』は「名カメラマン木村大作が監督として初めて挑んだ時代劇」で、興味をひかれたのは木村の語り。豪雨の向こうにおぼろげに人物の顔が映る場面について、「洪水の中にいるようだったが、現実の10倍を超えないとリアリティーは出ない。感情も表現できない」「蛍光灯だけで何でも映るデジタルの映像に俺は反発する。あれがリアリティーとは思わない」。また構図について、「縦の構図、長めのレンズを使うと空気感が映る」「構図、照明、背景を極め、1カット1カットに意味を持たせた。そこに人の心も映っている」(日経新聞文化面2018.9.2)。短歌にも照らし合わせながら興味深く読みました。

  あなたが退(ど)くとふゆのをはりの水が見えるあなたがずつとながめてた水

魚村晋太郎『花柄』

 作者が〈あなた〉をながめていると、ふいに〈あなた〉が退き、〈あなた〉が、その奥に見える水に置き換わります。「作者ーあなたー水」の構図から〈あなた〉のみ失われ、そこに生じる空間。水は、川か、池か、水たまりか、雨か……。〈ふゆのをはりの水〉と特定され、さらに〈あなたがずつとながめてた水〉と意味付けられます。実際のところ、水を見ていた〈あなた〉を背後からみていた作者には、〈あなた〉がずっと水を眺めていたかどうかは見えないでしょう。しかしそれを書くことで、「水」は特別な水となります。〈あなた〉の不在以外、構図、照明、背景の何も変わらず、水以外に、音も動きもない静かな景が、不在をより際立たせ、深い喪失感を読者に伝えます。
 構図、照明、背景を追求することにより生まれるリアリティを考えていて思い出した1首でした。

(水甕岡崎支社 木村美和)


  


獺を滅ぼし輸入する国にコツメカワウソの爪は鋭い

6・23の暑さの悲し暑がって死んだ海人のことを思えば (『水甕』2018年10月号)
 
 6月末から7月初めにかけて実施した第一回水媒花ネット歌会で提出した「獺を滅ぼし輸入する空の6・23は毎年暑い」という歌を、二首に分けて詠み直しました。
 結社誌に投稿して、選歌を受けて掲載されました。歌会に参加してくださったみなさん、ありがとうございました。

 ここは福生 同盟国が居座って国道沿いには多文化がある
 盲人と誘導者の男らをカップルと思い込んだ土曜日
 白杖を手放せるような関係か肘だけ軽く握って歩く
 (同)

(水甕 重吉知美)

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