水媒花

短歌結社水甕有志でブログを始めました!

はじめまして。短歌結社水甕有志で綴るブログです。
水甕の方とも、そうでない方とも、また短歌にあまり馴染みのない方とも、
このブログで共に短歌を学び、短歌で遊べたら幸せです。
宜しくお願いします。

《このブログでやりたいこと》
①ネット歌会 ~どなたでもお気軽にご参加ください~※準備中
②学びの共有 ~研究発表、短歌イベント参加レポート、読んだ歌集の感想など~
③交流    ~告知やちょっとした日常風景、作品など~
      寄稿受付 kimuramiwa11☆gmail.com (☆を@に変えてください)
             ※原稿料はお支払いできません。

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 足を止め蠅の交尾をながめてる少年の肩なだらかにして

                         (木村美和)

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作者がこれから住む、パリのアパルトマンから本歌集は始まる。

 

  手にとれば天道虫は歩みだしメトロの音が遠くに聞こゆ

 

窓の外に凍えていたという季節外れの天道虫を、作者は何を思い手にとったのか。天道虫が、手の中で歩みだすと同時に、作者のパリでの時間が、現実の実感を伴い動き始める。仕事とともにある日常を象徴するように、メトロの音が響く。

 

左岸より右岸にわたり右岸より左岸にもどるビルアケム橋

   白く顔を塗りたる男ふたり来て薄暮に去りぬ白きその顔

牛たちをかつて屠りし十五区は吟遊詩人の名前を冠す

公園の池のほとりの秋深くためらひしのち犬泳ぐかな

  

作者が暮らしているパリの風景が、旅行者のそれとも定住者のそれとも異なる、一人の生活者の冷静な視点で描かれる。作者が実際に見聞きしたと思われる出来事が、随筆のように丁寧に綴られている。

あとがきに「パリでは、左岸の十五区に住んだ」とある。ビルアケム橋は、日々の通勤で往復した橋か。橋を中心におき、その日々の移動のみに単純化された表現に、短歌ならではの面白さを感じる。

二首目にも、そのような単純化が見られる。男たちは何者か、何のために顔を白く塗っているのか……、ある筈の情報がない不安感とともに、白い顔のみが薄暮の記憶に残される。

物事の本質を捉えようとする透徹した眼差しは、住居のある十五区について、〈牛たちをかつて屠りし〉ことと、〈吟遊詩人の名前を冠す〉こととの二つの面に焦点を当てる。また、公園の池を犬がためらひしのち泳ぐ姿に、秋の深まりを見る。

    

  春めきて今日はサラダにパルマ産ハムとごろつとメロンをのせる

  オリーブのパテを塗りつつ夏の日をひとりぼつちのふたりで語る

  血と油の豚の腸詰ブーダンの皿には焼いた林檎を添へて

  垂乳根の母と小ざさの最中食む白葡萄酒のコルクを抜いて

            註.「小ざさ」は、東京の吉祥寺にある和菓子屋。

 

食に因んだ歌にも魅力的なものが多い。なにより美味しそうであるし、異国の生活が匂いたつようだ。作者のちょっとした拘り、または嗜みが垣間見える。食は、体と心に与える栄養であり、思考を介さず、1人で、た易く快楽を得る方法でもある。異国の地に一人働く日常において、季節を感じたり、ストレスを感じたり、風土を感じたり、さまざまな場面で、その時間を彩る食べ物が添えられる。久しぶりに母と過ごす時間にもやはり、場を和ませる食べ物が添えられる。

  

  こんな日は博物館を訪ひてドードー鳥の骨かぞへたし

 

パリにいて、作者はよく本を読んでいる。『シジフの神話』、『古今和歌集』、「超現実主義(シュルレアリスム)の書」、「理性の祭典」などの、さまざまな書物が登場する。それらもまた、作者に、安らぎと栄養を与えているようだ。

ドードー鳥について、「1598年に人間に発見されてから僅か83年で、ドードーは絶滅した」「近年、モーリシャス島で化石化したドードーの骨が多数見つかり、良質な骨格標本が2体つくり出されている」(ピクシブ百科事典https://dic.pixiv.net/a/ドードー鳥)とある。
作者の思いは想像するのみであるが、緊張を強いられる仕事の合間の、なんだか楽しそうなひとり遊びの時間のようにも感じられた。


                                                                                        (木村美和)

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「ほうせき」と差し出されたる猫じゃらし あぁ葉にひかる朝露のこと

                     (木村美和)

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